平安時代の『源氏物語』に馴れた目で、奈良時代の『万葉集』を読むと驚かされるのは、激しい感情表現である。
さし焼かむ 小屋〔をや〕の醜屋〔しこや〕に かき棄〔う〕てむ 破〔や〕れ薦〔ごも〕を敷きて 打ち折らむ 醜〔しこ〕の醜手〔しこて〕を さし交〔か〕へて 寝〔ぬ〕らむ君故〔ゆえ〕 あかねさす 昼はしみらに ぬばたまの 夜〔よる〕はすがらに この床〔とこ〕の ひしと鳴るまで 嘆きつるかも
(巻13-3270)
作者の性別は分からないが、『万葉集』では通常、“君”は男に使われることを考えると、おそらくは女だろう。
今頃いとしいあの人は、あの女とあんなことやこんなことを。焼いてしまいたい嫌なボロ屋に、棄ててしまいたい破れ薦を敷いて、打ち折ってやりたい汚らしい手を、かわして寝ているあなたのせいで、昼も夜もずっとこの寝床がぴしっと鳴るほど嘆いたことよ……。
よせばいいのに、小屋やら薦やら手やらと、やたら生々しく想像するものだから、苦しみもひとしお。あまりにあけすけな感情表現に面食らい、息詰まるようなどす黒い嫉妬の炎に重い気持ちになりながらも、『源氏物語』の六条御息所〔ろくじょうのみやすどころ〕もここまで感情をあらわにできれば物の怪にならずに済んだろうに。そう思わせる潔さ・爽快さも併せ持つこの歌にはさらに次の反歌が添えてある。
我が心 焼くも我なり はしきやし
君に恋ふるも 我が心から
(巻13-3271)
私の心を焼くのも私、いとおしいあなたに恋い焦がれるのも自分のせい。嫉妬するのも好きになるのも私の心のなせるわざ。
と、ここにきて読者の心はふっと軽くなる。
詠み手はちゃんと自分の心の怖さを分かっているのである。分かっていながら止められない人の心の不思議さを。