ちなみに、中国人富裕層の食への安全志向は非常に高い。日本政策金融公庫水産事業本部が08年に北京と上海で実施した調査では、「日常の食品購入で重視する点」を、「健康志向」と答えた人の割合が全体の91.1%、安全志向は85.2%だそうだ。これは、粉ミルクのメラミン混入問題が起きる以前の調査なので、その後彼らの食品に求める安全性がさらに高まっていることは疑いの余地はない。
朝日緑源は牧場を所有し、酪農を行っていた。牧場でとれる生乳は1日約16トン。それをすべて地元の乳業者に販売していたが、きちんと管理された牛からとれる新鮮でおいしくて安全な生乳を、B to Bのビジネスだけにとどめておくにはもったいない。事業としての付加価値をより高めたいという思いから、商品化を検討し始めた。
牧場でとれたてのミルクを飲む。釣ったばかりの新鮮な魚を刺身で食べる。私たちの普段の生活からも分かるように、日本人は素材の味を大切にし、とれたての状態に近い方が安全かつおいしいという感覚をもっている。食品添加物しかり、「手を加えていない状態」の方が安全という認識とも言える。一方、中国は反対の考えだそうだ。中華料理を思い出していただければ分かるように、食材にはほとんど必ず熱を通し、たくさんの調味料を加える。野菜は生で食べることは少なく、手を加えることによって食品の安全が得られるという文化だと聞く。
現実的な問題としても、広大な国土をもつ中国は、輸送は基本的に常温で行う。さらに、零細農家が多く、少ない牛からかき集めた生乳は品質が安定しておらず、手を加えずに飲むことは難しい。このような事情からも、中国では「冷たい」牛乳を飲むことは一般的ではなかった。
そんな中国の食文化に入り込むというアサヒビールの挑戦。100%自社管理牧場での生乳を使用し、日本では当たり前の冷たい牛乳の製法である、ESL(Extended Shelf Life:賞味期限延長)製法を導入。さらに製造後から店舗まで一貫したチルド輸送を徹底。これにより中国では珍しい成分無調整の牛乳を届けることが可能となった。
上記のように物理的な問題をクリアすると、あとは「実際にどのように広めていくか」ということに力を入れていく。「素材そのものの良さ・安全性・おいしさ」を理解してもらうために、実際に販売店舗での試飲を実施。その際には、「安全」の象徴とも言える「日本企業」であることや、上記のような自社牧場から一貫した生産管理を行っていることまで丁寧に説明していく。さらに、ポップには牧場管理をする日本人スタッフの写真を掲載することで、生産者の「顔」が見えるという安心感を消費者に与える。
試飲時には「冷たいまま飲んでも大丈夫なのか」という声が少なくなかった。しかし、上記のような丁寧な説明を心がけることで、消費者は安心して牛乳を口にする。飲めばやはり「おいしい」「これが本来の牛乳の味なのか」という声が多数だった。中には高価格に多少驚きの声を上げる人もいるものの、価格に匹敵する高度な技術を要する製法であることを理解すると、「それなら納得できる。安心安全にはかえられない」と、購入を決める。初年度の販売数量は年間700トン。稼働日計算で日糧は2トン以上となる。10年は年間850トンを目標とし、現在まで日糧3トンペースで順調に推移しているそうだ。