球場から踵を返し、15分ほど歩いて、ジタンの父親がアルジェリアから移民し最初に住んだ街サンドニの商店街へと入った。
大晦日のアメ横
そこは別世界。パリ市内のどこにもない街だ。大晦日の上野のアメ横、かつての大阪ジャンジャン横丁や赤羽の商店街を上回る盛況だ。週末ということもあるが買い物客であふれ返っている。マグレブ系アラブ人、アフリカ系黒人、中国人、ユダヤ人、アジア人、どこの国か分からない人と雑多だ。物価はパリの半分。衣類が安い。若者が多い。ものすごいエネルギーに満ち溢れ、日本の高度成長期1950年~60年代の労働者の街、西成や山谷のようでもある。古いパリとは違い、何か新しいものを生みそうな予感がある。絵画、小説、詩、映画―もっとも、それが可能なのは才能のあるわずかな人間だが。
サンドニ駅前の広場の屋台で焼き鳥を食べ、煙草を一本買いした。一本買いできるのは通常途上国だけだ。屋台の八百屋で北新宿に住んでいたことがあるバングラディシュ人からマンゴを買った。「日本人は優しかったけどここの住人はちょっとな」という。
市電も走っている。2つの路線に乗ってみた。
どちらも路線の左右に綺麗な団地が並び、時折「Sushi」の看板も見え、整然とした郊外である。統計では相対的貧困率は日本16%、フランス7.9%と、日本のほうが格差は2倍と広がっている。貧困地域と揶揄されているが、週休5ドル~10ドルの産油最貧国ベネズエラから来ると、まったく裕福である。貧困はやっぱり比較の問題なのだ。バジリカ大聖堂の前のカフェで休むと、警察のヘリコプターが上空をしきりに偵察している。