2024年7月23日(火)

WEDGE REPORT

2016年12月31日

 ベネズエラ政府は、2013年2月13日に、チャべスは夜中にカラカスに帰国し、陸軍病院に入院したと発表した。誰一人、チャべスの生きた姿を見たものはいなかった。身体が横たわっているストレッチャーは、キューバ人に囲まれていた。9階にある病室には誰一人入ることが許されなかった。チャべスと最も親しかったボリビア大統領のエボ・モラレスさえも、入室を拒まれた。

 そして、3月5日、マドゥロはチャべスの死去をテレビで発表した。3月8日には盛大な国葬が行われた。遺体の防腐処理をするために、ロシアから専門家が来るとか、バチカンから来るとか言われていた。だが、それはうまくいかなかったと伝えられた。不思議だった。棺に防腐剤やドライアイスが入っていたようには見えなかった。

 しばらくして、キューバを逃れた情報機関G2に属するキューバ人スパイ、フアン・アルバロは、チャべスは暗殺されたと証言している。彼はチャべスを個人的に知っている。

 「2011年の経済危機の中で、チャべスはキューバへの援助を縮小する態度を見せた。チャべスは全く健康であったが、キューバ人医師は体内にバクテリアを植付け、意味のない手術を行い、抗がん剤を処方し、骨髄を損傷し、死にいたらしめた」

チャベスの死に対する様々な憶測

 信ぴょう性は分からないが、カストロにとってチャべスの命と自分が支配する国の重みの違いは、火を見るよりも明らかだったに違いない。一方、マドゥロは米国により暗殺されたと言っている。

 その後、2014年、チャべスの死の内幕を描いた本『とてつもない嘘』(El gran engaño)が発刊された。ベネズエラの書店からはすぐに消え去った。著者は、一時チャべス派にいた政治家のパブロ・メディナだった。また、2015年発刊の『チャべスのブーメラン』(Bumerán Chavez)もやはり死の内幕をつづっている。

 私は一時ベネズエラを離れたが、再び2014年~16年夏まで滞在した。原油価格の低下もあり、15年からはモノ不足が焼結を極め、いたるところで略奪が始まっていた。車両泥棒、銀行強盗などの犯罪は日常茶飯事で、私の知人夫婦も殺され地中に埋められた。産油国なのにベネズエラ人の月給は30ドル~100ドル前後。世界最貧国のひとつである。

 また、現大統領マドゥロの妻の甥っ子二人が800キロのコカインをアメリカに持ち込もうとしてハイチで逮捕され、アメリカで収監された。その一人エルフィン・カンポはこういっている。
「チャべスの死後、ディオサードとマドゥロはベネズエラの富を山分けすることで、合意した。ディオサードは税金、鉱山、港湾、飛行場をもらいうけ、マドゥロは石油を手にした」

 私は思い出す。チャべスが死んだと発表された翌朝、ホテルで出された朝食は、いつもの決まり切った卵と豆ではなかった。ステーキがふるまわれたのだ。

 フィデル・カストロが11月25日に死去し、キューバは9日間の喪に服した。そしてなぜか、いや、当然というべきか、ベネズエラも3日間、喪に服した。かつての私の職場のプエルト・カベージョに滞在しているキューバ人たちは、歓びに沸き、お祭り騒ぎだったと聞く。

 ベネズエラ人は自嘲気味にいう。「キューバ人はベネズエラ人以上にベネズエラ人だ」。

  
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