「練習を離れ、それまでのことを振り返ってみたら、積み重ねてきたすべてを失ってしまったんじゃないかと思いました。でも、落ちるところまで落ちたし、失ったからこそ自分の原点に戻れたのです。失ったのなら、また積み上げていけばいい。練習量は落ちてしまったけれど、重く圧し掛かってきたプレッシャーもなくなり、精神的には大きなプラスを得ることができました。残された時間がどれだけであろうと、あとはやるだけだと思えたのです」
怪我を乗り越え、逞しいチャレンジャーとして練習に復帰した。
しかし、アクシデントはそれだけに留まらなかった。怪我を負った左半身をかばい、右腕に極度の負荷を掛け過ぎてしまったせいか腕の神経が麻痺してしまったのである。
鹿沼は上半身を前傾させ、肘や腕にかなりの圧力を掛けながら漕ぐタイプなのだが、手首を曲げることも、ハンドルを握ることもできなくなった。
「2016年の5月に発症しましたから、ほとんどリオの直前と言ってもいい大事な時期です。腕に麻痺があっても私はやるしかありませんでした。幸いなことに、足はケガしていないんです。だから、リオまでの期間にやれるだけのことをやりました。怪我は私にいろいろなことを教えてくれて、迷いはないという状態でリオに向かうことができたと思っています」
数値化による質の向上とメンタル面の強化
メダル獲得を具体的目標に掲げて取り組んだことは、『ワットバイク』というインドアバイクを使って、10分間踏み続けられるワット数を増やしていくトレーニングを導入し練習を数値化した。最初は180ワットで10分間という負荷からスタートして、リオの直前は270ワットで10分間まで踏み続けられるようになった。
「私の場合は瞬発力がなかったので1分間でどれだけ力強く踏めるかという負荷を上げつつ、10分間漕げるように増やしていったのですが、練習を可視化して、分析してもらって、自分でも確認しながら進めることができました。以前の私であれば、練習を数値化するなど考えていなかったのですが、メダル獲得を実現するためには必要なことだったのです」
またメンタル面では徹底して自分と向き合う心理サポートを受けた。毎日練習前と後に10分間自分の呼吸にだけ意識を集中し、いま自分がどのような状態で息を吸い、吐いているのかなどを具体的に感じられるようになると、さらに進んで、自分が現実に自転車に乗って、ペダルを漕いでいるようなイメージまで掴めるようになっていった。
「最初は落ち込んでいる人に対して行うものという印象があって抵抗があったのですが、私が受けたのは、『自分と向き合う』というものなので、それならやってみようと」
「続けるうちに、自分は座っているだけなのに、現実に自分が漕いでいるイメージを作れるようになるんです。漕いでいる負荷とか、いま自分の身体のどこの部分を使っているのか感じられるようになってくると、実際の練習でもその感覚を確認しながら、フォームに意識が向くようになって練習時間の短縮に繋がったのです」