今回は障害者スポーツを支えるプロフェショナルという視点から取材を試みた。その第1弾として義肢装具士の野口魁氏を作業現場に訪ねた。
―義肢装具士とは、医師に処方された義肢装具の採型・採寸ならびに適合・調整を行う国家資格を持った医療専門職であり、義手や義足、身体の機能障害を補う装具、車椅子や座位保持装置などを、それぞれの人に適合するよう、多様な条件に合わせて製作するプロフェッショナルである。―
好きだからこそ離れたサッカー少年の苦悩
野口魁(のぐち かい) 1991年沖縄県生まれ。
物心がつく頃に家族で埼玉県に移住した。幼稚園でサッカーを始め、小学校に進学してからも当然のようにスポーツ少年団に入りサッカーを続けた。
サッカークラブでは徹底して基礎プレーを指導され、昨日までできなかったことが、できるようになる喜びを教えられた。また、同時に観ることの楽しさも知り、小学2年生になる頃には浦和レッズの年間チケットを買ってもらいスタジアムに通うようになった。
こうして野口にとってサッカーは生活になくてはならないものになっていったのだが、あることがきっかけで、大好きなサッカーから離れる道を選んだ。
「中学2年の新人戦で、7対0で負けたことがあったのですが、その翌年も同じ相手に、7対1で負けてしまったのです。7点も取られるなんてサッカーでは大差です。『僕らの努力は1点分だけだったのか』ということでショックを受けました。
僕はそれが悔しくて試合後に一人で泣いていたんです。それなのに他の選手は笑っていました。大差で負けたにもかかわらず笑うなんて僕にはありえないことで、あのときは周りが信じられなくなりました」
野口は悔しさと悲しさと言いようのない挫折感に打ちひしがれた。中学生といえば一番多感な年ごろである。それだけにダメージが大きかった。笑っているチームメイトの傍らで「もうサッカーはやめよう」と心に決めた。それはサッカーに対する純粋さの表れだったのだ。