2024年7月15日(月)

パラアスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた

2017年2月1日

リオ本番でのトラブルを乗り越えて掴んだ栄光

 二人のリオデジャネイロ・パラリンピック出場種目は、トラック競技の1kmタイムトライアルと3km個人パーシュート。ロード競技では、ロードタイムトライアル(30km)とロードレース(69km)の4種目である。

 競技はトラックの1kmタイムトライアルに始まり結果は5位。もっともメダルが期待された3km個人パーシュートでは6位という結果に終わり、トラック2種目ではメダルに届かなかった。

 「あとがないということでトラックを終えてからの2日間はがけっぷちでした。この間に初めてロードの15kmコースを走ったのですが、動画を撮って、確認しつつイメージを作っていきました。それができてやっと落ち着いてロードタイムトライアル(30km)に臨むことができたのですが……」

 本当の試練はここからだった。

 スタート位置に着く直前、田中が異変に気がついた。変速ギアが変わらなかったのである。「もしかして、電動スイッチが入っていないだけでは?」という希望的観測も一瞬にして打ち砕かれた。

 「このままではギアが変わらない状態で出場しなければならない」――。その直後、スタート位置につくようアナウンスされた。事態は深刻である。

 「私が取り乱してしまったらおしまいです。もちろんスタートしなければ、全てが終わってしまいます。きっと田中も落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせていたと思います。スタートまで30秒を切ったところで、『落ち着いていきましょう』と田中が言ったので、『彼女もやる気だ。どんな状況だろうと漕ぐしかない』と腹を括りました」

 鹿沼はこの件でも「幸いにして」と何度か繰り返したが、変速ギアは一番重いところで固定されていたのだ。本来スタート時やコーナーなどでは軽いギアに切り替えて、スピードが出てきたところで重いギアに切り換えるのだが、鹿沼たちは30kmもの距離を一番重いギアのまま漕ぎ続けなければならなかったのである。

 「もしも、あれが一番軽いギアで固定されていたらタイムが伸びずに大変でした。私たちはワットバイクで重いのを漕いでいたから大丈夫。重いのは得意なんだと自分を納得させて30kmに挑みました。

 スタートしてしまえば、あとは漕ぎ続けるだけだと思って、ひたすら漕ぎ続けました。Uターンのようなコーナーが何ヵ所かあったのですが、立ち漕ぎで乗り切りました。

 最後の7.5kmが本当に辛くて、『ここでゆるめれば足は楽になる。でもタイムは落ちる。ここが一番の勝負どころだ』と辛さと戦いました」

 結果は2位。目標だったメダルを獲得し、田中と二人で表彰台に立った。

 ギアの故障によって自分たちが追い込まれた結果だと鹿沼は振り返る。

 バンクーバーから始まったメダル獲得の物語は、壮絶なクライマックスを経ていったん幕を閉じた。

 2016年11月。麻痺した右腕の手術を終えた鹿沼は、怪我が様々な形で自分に学ぶ機会を与えてくれたと振り返った。

 「視覚障害は生まれつきなので、受容できていますが、右手の障害は後天的で、まだ受容できていないのが現状です。先天性障害と後天性障害って、受け止め方が違うものですね。右手を最善な状態にして、全身使って、思いっきりプレーすることが、今の目標です」

<リオデジャネイロ・パラリンピックの結果>
トラック競技 1kmタイムトライアル5位 / 3km個人パーシュート6位。
ロード競技 ロードタイムトライアル(30km)銀メダル / ロードレース(69km)10位。

  
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