またこの約10年間に生じたひとつの傾向は、日本映画のシェアが外国映画を上回り続けていることだ。これは、ハリウッド映画が席巻した80~90年代とは大きく異なっている。日本以外で自国映画のシェアが高いのは、世界第2位の映画市場である中国(ただし外国映画の公開規制がある)、ひとりあたりの映画館観賞回数が世界トップクラスの韓国、そして、映画が盛んなことで知られるインドだ。ヨーロッパのほとんどの国では、シェアの60~80%近くをハリウッド映画が占めていることと比較すると、これはアジア特有の現象だと言える。
作品に表れる強い作家性
ここからは、『君の名は。』、『シン・ゴジラ』、『この世界の片隅に』を中心に、2016年の映画情況を読み解いていこう。ただしそこでは、決して作品内容だけを取り上げることはしない。作品内容は、映画においてたしかに重要な構成要素であることに間違いないが、それは映画のひとつの側面でしかない。つまり、作品内容以外を等閑視することとは、映画総体を語ったことにはならない。
映画は創作者がおり、それを観る観客がいる。さらに彼らや日本映画を取り巻く日本社会があり、そして作品内容がある。
よって、ここからは①創り手・②観客・③作品内容・④日本社会の4点について、それぞれ考えていく(※1)。
まず創り手について見ていこう。今回取り上げる3作すべてには、監督の強い個性(作家性)が表れている。振り返れば、00年代に日本映画界を席巻したテレビ局製作の映画は、しばしばその作家性の弱さを批判された。つまり、マスプロダクトとしての価値と作家性との乖離が指摘されていた。
ただ、そのなかでアニメは例外だった。言うまでもなく、それはスタジオジブリの宮崎駿と高畑勲がいたからだ。彼らは、商業性と作家性をしっかりと両立させてきた。むしろ、その作家性こそが興行価値につながってきた。『君の名は。』、『シン・ゴジラ』、『この世界の片隅に』の3作に共通するのも、監督の作家性が興行に結びついているところだ。
『君の名は。』の新海誠は、2002年公開に低予算の短編『ほしのこえ』を発表したときから、その美しい風景描写と、テーマである若者のコミュニケーションの断絶が高く評価されていた。ただし、新海の弱点は長編映画だった。その後いくつかの長編を発表するが、そこでは構成力の弱さが露呈し続けていた。
しかし、新海にとってはじめてのメジャー作『君の名は。』は、これまで見せてきた強い作家性を維持しながらも、きわめてバランスの良い構成となっている。この結果に大きく寄与したのは、おそらく東宝の川村元気プロデューサーだ。小説家としても知られる川村は、新海に対し『君の名は。』が「ベスト盤」だと言って鼓舞し、さらに非常にオーソドックスな3幕構成にしたと述べている。プロデューサーが監督の作家性をコントロールしながら、目一杯引き出したのだ。
※1……映画を捉えるこの4つの枠組みは、ウェンディ・グリスウォルドの「文化のダイヤモンド」によるものである。詳しくは、『文化のダイヤモンド──文化社会学入門』(1989年/玉川大学出版部)を。