『シン・ゴジラ』は、『新世紀エヴァンゲリオン』で知られる庵野秀明が総監督を務め、『進撃の巨人』など特撮に強い樋口真嗣が監督をした作品だ。そこには、『エヴァ』で見せてきた強烈な庵野節が全開となっている。おろおろしながらゴジラに立ち向かう日本政府はまるでシンジで、石原さとみ演じるアメリカの特使はアスカを連想させるように、『エヴァ』の構図をそのまま『ゴジラ』に適用している。『エヴァ』と異なるのは、ゴジラ駆逐のソリューションを、SF的(エヴァンゲリオン)ではなく、現実的(政治)に導き出す点だ。それは戦後日本が抱えてきた、日米安保同盟を軸とする対米追従路線を『ゴジラ』という題材で思考実験した内容だと言える。
もちろん、あの特撮も大きな魅力として観客には感じられたはずだ。70~80年代、それまで世界でトップクラスであった日本の特撮は、スピルバーグとルーカスを中心とするハリウッドに圧倒されてファンに見放された。しかし、近年はVFXのハードルが下がったことにより、従来の特撮とCGを組み合わせて、ハリウッドほどの予算をかけなくともそれに比肩するだけの映像を創ることができるようになった。『シン・ゴジラ』は、現段階では東アジアの映画におけるひとつの到達点だと言えるだろう。
『この世界の片隅に』の片渕須直は、2000年に『アリーテ姫』で長編監督デビューし、09年に『マイマイ新子と千年の魔法』で注目された。その特徴は、細部にこだわった非常に丁寧で細かい演出だ。『この世界の片隅に』でも、戦時下の庶民の日常生活をひたすら描いていった。新海や庵野のようなダイナミズムはないが、淡い水彩画のような広島や呉の街のなかで、主人公・すず(声優・のん)が柔らかく動きながら生活している。
『マイマイ新子~』でもその特長は発揮されているが、片渕の視点は常にミクロなほうに向いている。鳥の視点か虫の視点かで言えば明らかに後者だ。それはSF要素のある『君の名は。』や、政治の世界を執拗に描いた『シン・ゴジラ』とは、明らかなコントラストを成す。
さて、駆け足で見てきたが、この3人に見られる作家性(個性)とは、多くの実写映画ではなかなか見られない強度を持っている。それは彼らがアニメや特撮をその表現手段としていることと、けっして無関係ではない。3者には、その個性が画(映像)の強さに表れていることが共通している。
“体験”の場としての映画館
次に、受け手である映画観客に目を向けてみよう。そこでは、2016年にそれ以前と異なる明確な変化が現れた。それが「応援上映」や「発声上映」と呼ばれる映画上映だ。
振り返ってみれば、2010年代に入ってから映画館にはさまざまな変化が訪れていた。たとえば一昨年の2015年に話題となったのは、4D映画だった。これは座席が動いたり、水しぶきがかかったりするなど、体感型の映画だ。さらに遡れば、2009年末公開の『アバター』によって3D映画が流行った。従来の2Dのスクリーンに投射される映像をただ観るだけでなく、奥行きや物理的な振動などの要素が加えられている。これらは、19世紀後半に誕生したばかりの映画において見られたアトラクション性(見世物性)と通ずるものであることは、渡邉大輔などによってすでに指摘されている(※2)。
しかし、これらはともにハリウッド映画を中心とする話であり(日本映画でもいくつか3D作品はあったが)、観客の能動性を強く期待するものでもない。3Dや4Dと言っても、それは創り手側が準備したコンテンツを観客が受動的に楽しむことには変わりなかった。
※2……渡邉大輔「映画の“アトラクション化”はどう展開してきたか?──渡邉大輔が映画史から分析」『Real Sound』2015年9月7日、松谷創一郎「アトラクション化する映画館――『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』の大ヒットから考える映画の未来」『Yahoo!ニュース個人』2015年12月23日。