基本的には、しつらいができるだけ目につかないよう、さりげなく、自然にということを心がけたそうで、それは庭全体の結構にもすべて生かされているという。
「私どもでは、父親の代からこちらのお庭の手入れをさせていただき、現在では息子も含めて三代になりますが、庭づくりの上では、美術館を開館した二代目の根津嘉一郎さんの美意識が大きかったと思いますね。二代目やその奥様は、父や私にも親しく声をかけてくださり、ご自身もお茶を嗜〔たしな〕まれるという立場から、いろいろと教えてくださいました」
なかでも大切にしている教えが、庭にあるものはすべからく大切に使う、ということ。木一本にしても、そこに道を通すからといって伐ってしまわず、きちんと移植をし、生かすのが根津の庭の流儀なのだ。
「その場合も、必要以上に木を甘やかすのではなく、“根切り”といって伸びすぎた根を切ることで、木自身に『頑張って生きよう』という力を出してもらうんです。それ以外、むやみに枝を剪定することもありません。ほうっておいても、木は自分の伸びたい方へ枝を伸ばしていきますから」
とはいえ、同じ種類の庭木はできるだけ近くに配置するなど、「これがベスト」という状態をめざして、移植は我々の想像以上にひんぱんに行うという。今回のリニューアルにあたっても、雨水の通り道を考えて、園路や庭木、庭石の位置を変えたのはもちろん風間さんだ。
「改築の際は、一度だけ完成模型を拝見して、それに合わせた手入れをしました。こちらの庭については、どのようにすればいいか、二代目の嘉一郎さんの好みを通じてわかっていますから」
庭を散策するお客さんには「歩きながらではなく、ぜひ立ち止まって、見上げたり足元を見たり、ゆっくりと楽しんでほしい」とおっしゃる風間さん。敷石の隙間を埋める苔を、いとおしげに見つめるまなざしが印象的だった。
▼椿山荘庭園〔ちんざんそうていえん〕
──音羽椿山荘に、あの若冲の羅漢像を探す
明治の元勲として、また名庭構想の達人としても知られる山縣有朋〔やまがたありとも〕。京都・南禅寺に近い「無鄰庵〔むりんあん〕」、小田原の「古稀庵〔こきあん〕」と並び称
されるのが、谷戸〔やと〕地形の目白台の本邸跡に建つ約二万坪の「椿山荘」の庭だ。
「林泉回遊式の庭自体ももちろんですが、ここでは一隅にうずくまる『羅漢石』が何よりのお薦め。デザインをしたのは、江戸中期の京都の画家で『動植綵絵〔どうしょくさいえ〕』などの代表作がある伊藤若冲〔じゃくちゅう〕。晩年に洛南の石峰寺〔せきほうじ〕に奉納した五百羅漢の一部が、大正期にここへ移されたといいます」