2024年12月22日(日)

スポーツ名著から読む現代史

2024年8月8日

 連日、日本人選手の活躍でわくパリオリンピック(五輪)。前半戦は日本のお家芸、柔道や男子体操など得意競技が多く集まっていたせいもあって、日本勢のメダルラッシュとなっているようだ。

 しかし、審判の判定を巡り、疑問符が付くケースも少なくない。近年はさまざまな競技で「ビデオ判定」の導入が進んでおり、五輪も例外ではないが、どんな最新機器を導入しても、スポーツファンの厳しい目からは「誤審」を疑う声が出る。パリ五輪でも柔道やサッカーなどで微妙な「判定」がメディアに取り上げられている。

パリ五輪柔道混合団体決勝での代表選へのルーレットにも物議をかもした(長田洋平/アフロスポーツ)

 筆者は以前から「誤審」を声高に訴える主張に対しては抑制的にとらえてきた。審判もスポーツを構成する重要な存在と考え、誤審も背後に意図的な悪意がない限り、「人間らしい」行為と受け止め、「誤審も含めてスポーツ」と思うからだ。だが、スポーツにビッグマネーがからむようになると、そんな悠長なことは言っていられない。

 今回取り上げるのは、21年前に出版され話題となった一冊だ。さまざまなスポーツ分野で多くの著作を残している生島淳の『スポーツルールはなぜ不公平か』(新潮選書)。

 生島がこの本を出したのは2000年のシドニー五輪と02年のサッカーワールドカップ(W杯)日韓大会の直後だ。当時を振り返れば、シドニー五輪では日本柔道の最重量級のエース、篠原信一が疑惑の判定負けを喫した。W杯日韓大会では韓国による審判買収疑惑まで浮上した。

 また、02年のソルトレークシティ冬季五輪では、ジャンプ競技のルール改正により、日本の飛行隊はメダルゼロに終わった。日本国内で審判への不信が、スポーツルールにまで広がっていた時代でもある。


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