<柔道の取材を続けていると、この競技にはふたつの顔が存在するのが分かってくる。まず日本人が思いつくのは、白い柔道着に身を包んだ選手が礼をしてからしっかりと組み合い、一本勝ちを目指す「柔道」のことである。(略)そして「JUDO」という競技も存在する。1999年、イギリス・バーミンガムで行われた世界選手権で見たものは、柔道とはそっくりではあったが、似て非なるものだった。目に見えて違うものがたくさんあった。選手は青と白の柔道着に分かれて戦う。コーチは畳脇の椅子に座り、審判のジャッジについてあれやこれやアピールする。全日本選手権では存在しない「KOKA」というポイントがある。選手がなかなか組み合わない。審判が下手。ざっと挙げただけでもこれだけの違いが柔道とJUDOの間にはある。選手からしてみれば、違う競技をしているようなものである>(180~181頁)
こうした違いを指摘したうえで、著者はこう書く。
<なぜ、こうした違いが生まれてしまったのか。オリンピックで日本選手たちはメディアから、「日本選手は金メダルを獲得して当然」といった扱いを受けるが、まったく違う競技を「プレー」していると考えるべきで、よくそんな状況の中で、よくぞ金メダルを獲得し続けていると考えるべきかもしれない>(182頁)
今では、「KOKA」のポイントはなく、積極的に組み合わなければ反則負けにつながる「指導」を受ける。それでも、日本人が柔道の判定に納得がいかないケースが多かったのは、こうした「柔道」と「JUDO」の違いにあったのかもしれない。
「日本たたき」のルール変更
柔道は、国際化を進める中でルールが変わっていったと著者は指摘したが、それとは別に、日本が強くなったことでルールが変更された事例を取り上げている。
競泳では1988年ソウル五輪100メートル背泳ぎに出場した鈴木大地は、水中で抵抗の少ないバサロ泳法を完成させ、決勝では30メートルのバサロに挑戦、金メダルを獲得した。これに対し、国際水泳連盟は89年から「バサロはスタートから15メートル以内」とするルール改正を行った。
ほかにも68年メキシコ五輪では平泳ぎの田口信教がドルフィンキックを使って失格、田口の後継者、高橋繁浩が78年の世界選手権で頭が水没する泳法違反を取られたことを取り上げてこう指摘する。
<日本人が競泳で世界と対等に勝負できるのは、技術系とされる平泳ぎ、背泳ぎに偏る傾向がある。一方、自由形、バタフライは技術よりも身体能力がより重要になる泳法であり、日本人が世界と伍して戦うには、苦戦を免れない。技術系の2種目では、ルールの範囲内で創意工夫を凝らして泳法の研究が行われており、日本人選手が記録を連発するようになると、技術的な足枷がはめられることがしばしば起こっている>(192~193頁)
夏季競技だけではない。著者はスキージャンプ競技についても言及している。
92年の長野冬季五輪。日本は団体決勝で岡部孝信、斉藤浩哉、原田雅彦、船木和喜のメンバーで大逆転優勝を飾った。同年夏、国際スキー連盟はスキー板の長さ制限を決める。スキー板を選手の身長の146%に制限するもので、平均身長の低い日本人選手を標的にしたルール改正ではないかという声が出た。
このルールが影響したのか、日の丸飛行隊は国際舞台で好成績を残せず、02年のソルトレークシティ五輪ではメダルを逃している。