2024年11月26日(火)

ペコペコ・サラリーマン哲学

2010年6月15日

 さらに、「とりあえず、ブルースさえ踊れれば世界中どこのパーティーに行っても大丈夫。全国各地の公民館では3時間500円で社交ダンスを踊っている人が大勢います。まず見学してください。それすら躊躇するのでは困りますよ」と述べました。

左:『お父さんの社交ダンス』(モダン出版)
右:『私がほしかったダンス用語集』(中経出版)

 いま、私は、3冊目の社交ダンスの本出版目前にいます。1冊目は『お父さんの社交ダンス』(モダン出版)、2冊目は『私がほしかったダンス用語集』(中経出版)ですが、3冊目はブルースという踊りだけ(ちょっとジルバが入っていますが)の本で、現段階の題名の候補は次の2つです、『ブルースさえ踊れれば世界中どこのパーティーに行っても困らない』と『世界一やさしいブルースの本』です。この3部作は73歳の執念です。

 私は61歳(1991年)まで、現役のサラリーマン時代はほんとうに仕事一筋でした。当時の言葉で言えば、エコノミックアニマル、今流に言えば、ワーカーホリックです。

 「健康のために」と始めたゴルフは30代の給料では高すぎるとやめ、細々とテニスと水泳をしていましたが、運動はもともと健康な人がする趣味であり、健康になるためにする趣味ではないことを40歳でやっと気づきました。そんなこともあって、趣味は「日本史年代ゴロ合わせ」を考えることぐらいで、日曜も祝日も家に仕事を持ち帰るほどの仕事漬けでした。

 そんな私を見かねたのか、53歳(1989年)のある日、家内が、「公民館で社交ダンスを教えてくれるそうだけど行ってみない?」と、一枚のチラシを渡してくれました。初心者向けのレッスンが土曜日10回分1500円。しぶしぶ公民館を訪れた私は、そこに居合わせた人々の姿を見て、思わず後ずさりしました。一番タマゲたのは、ご婦人方の靴の色です。金・銀・赤・青・黄とカラフルな靴を見て、めまいが起きそうでした。最初はおどおどしていたのですが、それでも3回目くらいになるとメンバーのみんなが同級生のように見えてくるのでした。

 結局、10回のコースを一度も休まず受講し、その後、初級コース、中級コースへと進級しました。

 55歳(1991年)からは、毎週土曜日に30分、プロの社交ダンス教師から習うようになりました。そして、1996年の正月、「今年私は60歳になるが、誰も祝ってくれそうもないので、社交ダンス教師の資格を取って自分で祝ってやろう!」と決意したのです。

 日曜日の午前は公民館で約2時間のレッスン、土曜日の夕方30分はダンスの先生の個人レッスン。あとは家から少し離れた公園で毎朝一人で練習しました。映画「Shall we ダンス?」の役所広司さんと同じです。60歳(1996年)の12月、無事に試験合格したときはとても嬉しかったです。

 試験科目は筆記が憲法、風俗営業法、時事問題、エチケット、社交ダンス8種目の踊り方で、実技が「ワルツ」「タンゴ」「スローフォックストロット」「クイックステップ」「ルンバ」「チャチャチャ」「サンバ」「ジャイブ」について一人で踊るソロデモと、先生とともに踊るパターンの2つでした。当時の合格発表は成績順で、私は350人中300番くらいでした。

新しいことを始めるのは素晴らしい!

 私の社交ダンスの腕前は、10000人有資格者がいるとすれば、おそらく9990番くらいです。しかし、信越化学でお世話になった小田切新太郎会長・社長はこうおっしゃいました。

 「やさしい社交ダンスの本を書いちゃいなさい」


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