2024年11月22日(金)

オトナの教養 週末の一冊

2017年6月30日

歴史書は「著者の視点」から逃れられない

 2点目は、著者が1976年生まれのイスラエル人歴史学者であること。

 本書によると、著者はイスラエルのハイファ生まれ。オックスフォード大学で中世史、軍事史を専攻して博士号を取得。現在は、エルサレムのヘブライ大学歴史学教授で、マクロ歴史学に焦点を当てた研究に取り組みつつ、旺盛な執筆活動をしている。軍事史や中世騎士文化についての著作もあるという。

 私は歴史学には詳しくないが、それでも、これまで読んできた歴史書や科学書の多くが、著者の意識・無意識にかかわらず、西欧とアメリカの価値観に立脚しており、ある偏った視点で世界を見ている(見させられている)という不満を感じてきた。

 その点、本書は、地球を宇宙から鳥瞰しているかのような視点でホモ・サピエンスという種の盛衰を語る。アジアやアフリカの出来事はもちろん、宗教で言えばイスラム教や仏教にも公平に言及する。

 ペルシア帝国を「全人類のため」の普遍的な政治的秩序とし、インドの仏教を「衆生を苦しみから解放するため」の普遍的な真理とする。

 日本人の私にしてみれば、既知の話のように思うが、西欧的歴史観の読者からすると、「人類史の常識がくつがえる!」という、帯のうたい文句のような読後感になるのだろうか。

 ただし、まったく同意できない記述もあった。たとえば、第8章の「想像上のヒエラルキーと差別」。人種間格差については正当なことを述べていると思われる著者が、男女間格差については、説明不能と、さじを投げている点が大いに気になった。

 「家父長制が生物学的事実でなく根拠のない神話に基づいているのなら、この制度の普遍性と永続性を、いったいどうやって説明したらいいのだろうか?」

 著者は8章をこのように結論して、あたかも世界の家父長制が男女の生物学的格差に基づいているかのように印象づけている。

 <ホモ・サピエンスという種のオスは、体力や攻撃性、競争性ではなく、優れた社会的技能と、より協力的な傾向を特徴としているのかもしれない。実際のところは、私たちにはまったくわからないのだ。>

 これには、あきれかえった。男性である著者は、男性的視点に縛られている。しかも、そのことに気がついていない。

 ここで逐一反論は書かないが、明らかなのは、歴史書の視点というのは、著者がどんなに公平をもくろんでも、著者の生い立ちや文化的背景、属性からは逃れられない、ということだろう。だからこそ、著者の視点を認識したうえで歴史書を読む繊細さが、読者には求められる。


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