この熱き人々

2017年8月21日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

 そんな瀬奈が変わったのは花組で10年目に入ろうとする頃。ホテルで開催されたディナーショーの稽古中に振り付けの先生から「あなたはいったい何がやりたいの。何を目指しているの。どうしたいの」と聞かれた。

 「その問いに私は答えられなかったんです。自分の中にやりたいこと、目指したいことはありました。燕尾服を着て中央で踊りたい。こういう構成でこんなショーがしたい。でもそれはトップにならなければできないこと。だから言えなかった。一日考えて、傷つくのを恐れて口に出さずにいるような自分じゃダメだと吹っ切って、翌日『トップになりたい』と答えました」

 そのディナーショーで劇団が用意したのは、中くらいの規模の宴会場だったが、申し込みが殺到、即完売で、会場が大広間に変更されるという経緯があった。大広間に押し出してくれたのはたくさんのファンである。そのファンのためにも、逃げ道を用意している場合じゃないと腹をくくった。

 「自分の意識が変わったら、周囲の私を見る目も変わり、びっくりするほど環境が変わりました」

 このトップ宣言からわずか3年で、瀬奈はトップに就任している。が、花組だった瀬奈がトップになったのはなぜか月組。異例のことである。トップに抜擢されるという通知は、普通なら夢が叶った最高の瞬間に違いない。だが、瀬奈にとって、それは最大の試練の始まりだったという。

 「月組に組替えになります。エリザベート役をやってください。その公演の後はあなたがトップです。3つ同時に言われて、何で私が娘役のエリザベートなのかという驚きで、組替えのショックもトップの喜びもふっ飛んでしまいました」

 宝塚で何度も上演されている「エリザベート」は、ハプスブルク帝国末期、宮廷との軋轢(あつれき)に苦しみ、放浪の果てに暗殺されたオーストリア皇妃エリザベートと、彼女に影のように付きまとう死神トートの物語。男役が演じるのはトートであって、エリザベートは娘役が演じる。

 「トップ就任の前に男役を勉強できる最後のチャンスなのに、何で私が娘役? これまで10年以上努力してきたこと、男役として培ってきたものが何ひとつ役に立たない。しかも月組トップの彩輝直(あやきなお)さんの退団公演ですから、もし私の存在がマイナスになったら申し訳ないという気持ちも加わって、うまくいかなかったらトップも辞退するしかないと覚悟していました。今振り返るとあの頃の私は病んでましたね。人と関わる余裕もなくて、孤独病みたいにひとりで殻にこもってました」

 公演後、予定通りに月組トップに就任しているということは、試練を乗り越えたということになる。

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