2022年8月14日(日)

あちこち見聞帖 「ひととき」より

2017年9月29日

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大竹 聡 (おおたけ・さとし)

作家

1963年、東京都生まれ。作家、編集者。2002年にミニコミ誌「酒とつまみ」を創刊し、呑兵衛たちの心を鷲掴みに。著書に『ぶらり昼酒・散歩酒』(光文社文庫)、『五〇年酒場へ行こう』(新潮社)、新刊『多摩川飲み下り』(ちくま文庫)。

島の民宿、タコで飲む最高の夜

 十五時を過ぎて、宿へ行くと、もう部屋も風呂も用意ができているという。

「ほらっ!」─夕方前に厨房を覗くと、「やまに」のご主人、鈴木康典〈やすのり〉さんが、獲ってきたばかりのサザエを見せてくれた

 漁師民宿「やまに」。通された三階の客室は気持ちのいい和室で、窓からいい風が入る。部屋の隣が浴場なのだろうか。そこも窓を開け放っているのか。湯面を打つ、たっぷりの湯の音が、響いてくる。

 テレビはつけない、メールチェックもしない。急用があれば電話があるだろうと太い気分になって、押し入れから枕をとりだし、携行してきたウイスキーを少しだけなめて、畳に寝そべる。気分がいいねえ。

 気がつくと、眠っていた。急がぬ旅なので、夕食は遅めにしてもらっている。暗くなりかけた港へ、また出てみることにした。

 堤防に釣り人の姿がある。夕映えの西空。影絵になった釣り人の後ろ姿。この時刻になって風が強くなっている。振り返ると東の空に、少し霞んだ、月も見える。

 視線を西へ戻すと、残照の中、小さな漁船は、港を目指す。きれいだなあ。酒が飲みてぇ……。この短絡に、意味はない。

 食事処に腰を下ろすや、ああ、来てよかったと表情が崩れてしまった。ビールの栓を抜き、うまし、なんて一人で悦に入っていると、茹でたてのワタリガニが先陣を切った。甲羅の中には味噌がたっぷり。夢中で食べる。

身も味噌もぎっしりと詰まったワタリガニ。女将さんが上手な食べ方を丁寧に教えてくれた

 次に畳みかけてきたのは、上品だが脂ものった石ガレイの刺身と、伊勢エビ、アワビ、平貝の貝柱のお造りの皿である。

透明感がある石ガレイの刺身。程よい弾力があり、新鮮そのものの味

 もはや、言葉は出ない。フガフガ言いながら喰い、飲む。ここは漁師の宿だ。獲ってきた魚介を料理し、宿泊客に提供する。その営みを、家族できりもりしている。そういう家が、この島には、実に多いらしい。

 クルマエビは生きたままである。殻をとってしゃぶりつき、味噌まで吸いつくす。

 酒を、島の焼酎として推しているという「けっこい」に切り替えた。初めて飲むが、甲類と乙類の混和焼酎である。すっきりしていてうまい。ちょっと濃い目の水割りくらいが、ちょうどいい。

 焼きものは、大アサリとサザエ。煮つけはカサゴ。それから、極めつきのタコの塩茹でが出た。茹でただけ。あったかい。ちょっと小ぶりで可愛らしいタコ一匹、まことに気の毒だけれど、ハサミでちょっきん、と切っちゃって、なにもつけずに口へ放り込む。そのうまさ、物書きが言っちゃいけないことですが、筆舌に尽くしがたい。

日間賀島を訪れたら、やはり、これは外せない。ボイルしたシンプルなタコは想像以上の柔らかさ

 てんぷらが出る、香のものも出る。白いご飯は最後だが、実は途中で、絶品のタコ飯が出たのだ。タコ飯の独特のコクが、最近では食欲減退気味の私を、奮い立たせる。

写真を拡大 ほかほかのタコ飯は、ご飯一粒一粒にうまみが染みていて、口に運ぶほどに表情が緩む

 旅館の懐石もいいが、こうした、シンプルすぎて抗いようのない味覚に出会うと、ただただ、ニタリとするしかない。脱帽するしかない。あれこれ論評する奴はどうかしている、とさえ思う。

 タコを少し残したら、翌朝の食卓に酢ダコにして出しましょうと言ってくれる。酒も氷と一緒に、部屋へ持ち帰っていいと言ってくれる。うれしいねえ。風呂につかった後で、また、ひとりで飲める。

 幸い風呂は空いていて、四肢を伸ばして十分にのんびりできた。手足の指の先まで血が巡る。どうやら船のデッキか港で少し焼けたようで、顔が熱い。

 風呂から出て、浴衣になる。残りの焼酎を飲む。窓は開けたまま。電気を消してしばらくすると、月明かりが部屋の中をぼんやり照らした。なんという、いい夜だろう。

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