そういえば坂口の履歴をたどると、京大附属病院の輸血部とか東京都老人総合研究所とか、不思議なものが交じっているのに気づく。
「そうそう、老人総合研究所の前もプータローになっちゃって、そうなると履歴に空白ができるとまずいからと、3カ月嘱託って名前をあげますって。それをもらって次を探すわけ。日本は、何や小さなやさしさはあるけど、大きなやさしさに欠けるみたいなとこありまんな。でもまあ、超特急じゃないからこそいろいろな経験をして、それが感覚に繋がっているところもあって、舞の〝序破急〟のような感じですね」
研究の話になると関西弁が交じる。関西弁には苦境に立ち向かう明るいエネルギーのような勢いが感じられる。それにしても、地味で地道な長い研究生活を自ら支え続けながら生きる道は容易なものではなかっただろう。
「僕の考えより、もっとうまく説明できる考え方があったらそっちをやったと思う。でも、どう考えても自分の方やなという確信があったから、世の中のファッションはあっちやけど自分はこっちで行く。それと、ずっと信じてついてきてくれた共同研究者の家内がいた。それで続けることができたと思います」
細胞から遺伝子、そして疾患との関わりが一直線に見え、Foxp3遺伝子に関わる複雑な分子の働きも解明されつつある。医療への応用も視野に入った今、多くの分野の研究者が参入して傍流は本流となり勢いを得た。
数々の賞状やメダルやトロフィーの並ぶ研究室の本棚の片隅に、小さな陶製の白いネズミが1匹。陶芸が趣味の今年100歳になる坂口の母が十数年前に作ってくれたものだという。
「たくさんのネズミに感謝して供養の気持ちを忘れるなってことなんじゃないかな」
手のひらに母のネズミをそっと載せた坂口は、長いこと注目されていなかったから意識は昔のままなんです、と照れたような笑顔を浮かべた。
佐藤拓央=写真
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