とくに、ポストプロダクションの開発は、3D映画製作に対する敷居を取り払った。これを使えば、3D専用の機材がなくても、デジタル撮影した2D映画を3D化したり、過去の名作映画もデジタルデータ化すれば3D化できる。これによって、多くの3Dコンテンツが制作されるようになっていった。
こうして、デジタル3D映画は、制作者にとってはデジタル化の推進になり、興行主にとっても、2D映画より利益率の高い料金を取れるうえに、テレビでは不可能な、劇場でしかできない体験を提供して集客力を高められるものと認識されていった。また、3D映画であれば、盗撮による不正コピーが出回ることも防げるだろう。(余談だが、デジタル化された映画館は、通信回線を使って、別の劇場で行われているライブ映像を映し出すこともできる。先日NHKで放送された「ヒューマンドキュメンタリー『太田光代“爆笑”を売る法則』の中で、このシステムを使って劇場で行われたライブ映像を、映画館に中継して各地で見る試みが紹介されていた。映画館のデジタル化には、こういう新しいコンテンツ提示の可能性もある。まだ試みられていないと思うが、ライブを3Dカメラで撮影して、別劇場で3D放送するのも面白いかも知れない)
2005年以降、アメリカでは3D化される映画や、その上映ができる映画館が順調に増えて、まずまずの興行成績を残していった。
その地固めのもとに、最も完成度の高い3D映画として、アバターは登場したわけだ。
ただし、キャメロン監督の「そそのかし」は、単に投資の回収だけを目指すものではない。それ以上に、多くのクリエイターに、3D映画表現という未開拓のクリエイティビティの世界があると示したことが、今の状況の根底にあるのだと思う。
人が3D映像を見る生理
そのキャメロン監督の志の高さを理解するには、人間が何故、ものを立体的に見られるかの、生理を知る必要がある。
人間は、いうまでもなく、まわりを立体的に感じる能力がある。これは実は、目の働きではなく、脳の働きによるものだ。
我々は、まわりの景色を「カメラのように」ありのまま見ているわけではない。目から入射する光の情報などをもとに、脳が複雑な情報処理を行なって、こころの中にあるイメージを作り出している。立体感は、そのイメージの一部として感じている感覚だ。
たとえば、そもそも網膜上にある像は、2次元に過ぎないわけだし、その像は目のレンズを通過しているのだから、上下左右は反転している。目を閉じたまま、指で眼球のちょっと上を強めに押さえると、下の方に光が見える。または目と鼻の間を押さえると、目の外側が光るはずだ。これは網膜が物理的な刺激に反応して見える光で、レンズを通っていないために、見るときとは反対の場所に刺激を感じているからだ。
人間がなぜ立体感を感じるかの説明として、たいていは両眼視差〔りょうがんしさ〕と両眼輻輳〔りょうがんふくそう〕がいわれる。
両眼視差とは、右の目で見た像と、左の目で見た像のわずかなズレの情報から、立体感を感じる現象だ。