二つ目として、「研究組織としての新陳代謝」がある。
独創的な研究成果は、しばしば、「門外漢による素朴な質問」や「不慣れな研究員による実験の失敗」から起きることがある。とりわけ、基礎研究においては、意図していたこととは別の価値あるものを発見する「セレンディピティ」が研究のブレークスルーになることも多くある。
大学では、いわば門外漢の役割を若い学生たちが担っている。しかも、4年ないし6年が過ぎれば学生はほぼ自動的に卒業していくため、研究室には絶えず新陳代謝が起きる。
一方で、現在の独立行政法人の研究機関では、こうした新陳代謝による活性化は大学に比べて起きにくい状況だ。中間報告で描かれている、国立研究開発機関の「基本的なあり方」には、「人材の多様性確保」や「分野融合やイノベーション創出を促進する観点から府省、官民、国境を超える連携」が謳われている。これらが掛け声倒れにならないかどうかが問われる。
そして三つ目が、「市民への説明の強化」だ。
国によるトップダウン型の研究が進むほど、市民の理解や受容は欠かせなくなる。目的を「このために」と具体的にしづらい基礎研究に対しては、いま以上の市民へのコミュニケーションが必要となる。
「評価システム」「新陳代謝」「説明」。これらのキーワードは、これまでも科学界が取り組んできたものではある。にもかかわらず、事業仕分けでは基礎研究が仕分けの対象となった。どれも十分ではなかったといえばそれまでだが、とりわけ不足していると考えられるのは三つ目の「説明」だろう。
「2位じゃだめなんでしょうか」という疑問に対して、科学に近しい人物たちからは、「それは愚問だ」とか「2位にさえなれないのに何を言う」といった声は上がる。だが、「2位ではだめなのか」という問いに対する、正面からの回答はなかなか上がってこない。国会議員でなく、子どもが「なんで2位じゃだめなの」と尋ねてきたとき、答える用意はあるだろうか。
さらに、科学に携わる人びとは、科学のことをより相対的にとらえる視点も必要なのだろう。事業仕分けでは、自然科学以外の分野にもメスが入った。科学研究者が反発の声明を挙げたような反応が、芸術や福祉などといった他分野でも起きている。科学を特別扱いするような根拠を市民はもっていない。あまたある分野の中で「科学は重要」であることを説得し続ける努力が求められる。
国の科学技術政策のあり方を定めた「科学技術基本計画」の第4期が2011年度から始まる。計画の骨子では、グリーンイノベーションとライフイノベーションという二本の柱は掲げられた。それよりも前の項目として掲げられているのが「基礎体力の強化」だ。「独創的で多様な研究の推進」や「多様性からの新奇の創出」などの強化が盛り込まれている。
2009年から2010年にかけて、社会からの注目を浴びることになった基礎研究は、2011年から新たな局面を迎えようとしている。
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