2024年11月22日(金)

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2010年12月27日

 斎藤は乳牛を1頭購入し、畑に牧草の種を蒔いてみた。牧草の生長をはるかに上回って伸びた雑草は牛に食べられてやがて絶え、逆に牧草は定着することを発見した。それならばと、山の熊笹を刈って焼き払い、そこに牧草の種を蒔いて牛を放した。牛は周りの熊笹を食べながら歩き回り、牛に踏まれた種は土中に埋まる。牛は火を入れた場所に芽を出した熊笹を先に食べるので、やはり熊笹は絶え牧草が定着した。

写真:田渕睦深

 こうした牛の習性を利用して草地をつくる方式を蹄耕(ていこう)法といい、諸外国では一般的なものだったが、もちろん当時の斎藤は知るよしもない。まずは、山と戦うのではなく生かすという方針を立て、草や牛の様子を観察し、気づいたことを繰り返し試した結果、こうすれば何とか酪農でやっていけると思えるようになっていったのだ。ビニール牛舎もトタンサイロも、数年間の観察と試行錯誤の賜物だ。

 「牛が増えて牧草が足りなくなった時、牛をじっと見ていたら、何でも食っていくんですよ。熊笹は邪魔ものじゃないっていうことなんだ。自然を見て気づいたことで、自分がその時にできることをやって組み立ててみたら、こんな簡単な方法があったんだということだよ」

 斎藤は自然の力を借りるしかなかったから、その生態をつかもうと観察眼を凝らした。機械を買ってくればいいと思っている人に見る目が養われないのは、どの世界も同じだ。「俺にはずるさがあるんだよ。もっといい方法があるはずだって、思い込んでいるんだ」と斎藤はニヤリと笑うが、その表情に滲む「今に見てろよ」という反骨精神や、何より土壇場まで追いつめられていた必死さが、草の生態や牛の本能に気づかせ、試行錯誤を支えたのだろう。

 機械や設備に多額の投資をし、乳量が増えるなどの個体改良を施した牛に栄養価の高い飼料を与え、規模や利益の拡大を図る酪農家からすれば、斎藤のやり方はいかにも悠長に映ったはずだ。現に「斎藤のマネをするな」という声は方々から聞こえたと、斎藤は今でも口角泡を飛ばす。でも、そうした酪農家たちは、借金を返すために牛に負荷をかけるなどしてどんどんと自然の摂理から離れていく悪循環に陥り、首が回らなくなった人も少なくない。

 斎藤のやり方は、牛の歩みとともに牧草地が広がるから、気が遠くなるような時間がかかるが、コストはかからない。牛舎やサイロはビニールやトタン板製なので、一般的な牧場のそれよりも100分の1程度の費用でつくれたそうだ。乳量や乳質を上げるために不自然なことをしていない斎藤牧場の牛は、病気を防ぐための衛生管理も楽で、やはり一般的な牧場の牛よりも3倍近く長生きするという。

 自然のリズムを理論や技術で克服できると考え、人間の都合で拡大しようとしてきた牧場が行き詰まり、逆に斎藤牧場の経営が注目を浴びるようになったのは、近代文明というものの限界がここでも露呈していることを表しているのかもしれない。

こうなるまでには時間がかかるよ

 自然の循環の法則に気づき、それに溶け込んで生きるとは、チャンスが来るまで待てるということだと、斎藤は言う。待つことができないのは人間が欲だけで走っているからで、それは長続きしない生き方だと。


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