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2010年12月27日

 「今の人間は勘違いをしているんだ。カネかけて技術を使って、人よりも先取りして自然を克服すれば幸せになると思っている。でも、人間の理屈を押し通したらしっぺ返しがくるんだ。アメリカで資本主義が方法をなくしちまったのも、その結果なんだ。自然の法則に溶け込んだら、生きることなんて難しくないんだよ」

斎藤 晶(さいとう・あきら)
1928年生まれ。47年に開拓農民として北海道旭川に入植。熊笹と石に覆われた山での農業に行き詰まり、牛の本能や草木の生態に着目した蹄耕法による酪農へと転換。99年度山崎記念農業賞受賞。  写真:田渕睦深

 北海道・旭川の牧場のオヤジさん、斎藤晶は、82歳にしてなお意気軒昂だ。北海道の牧場といえば、なだらかに広がる牧草地、大きな牛舎と高くそびえるサイロを思い浮かべるが、斎藤牧場はかなり趣が異なる。石がごろごろ転がる山肌に牧草が広がり、牛が勝手気ままに歩き回る。牛舎はビニールハウス、サイロはトタン板でつくったというから驚かされる。

 熊笹にびっしりと覆われた土地での農業に行き詰まった斎藤が、カネも機械もないなかで牛の本能や草木の生命力に着目し、その力を使って80ヘクタールもの山を牧場に変えてしまったのだ。多大な設備投資と機械化によって自然を抑えこんできた一般的な牧場とは対極で、自然の法則に委ねながら何十年もの時間をかけてつくってきたのが斎藤牧場だ。周囲からバカにされてきた斎藤牧場は、今では大学の研究者や農業関係者の視察が絶えない存在となった。

牛に雑草を任せちまえ

 19歳で開拓団の一員として単身、旭川に渡った斎藤は、最も山奥の、農業には不向きの土地を割り当てられた。そこは標高差100メートル以上、最大斜度が40度近くもある急斜面だった。

 「熊笹が一面に生えていました。熊笹は邪魔者だと思ってたから、なくそうとしたけど、切っても切っても生えてくる。それでも何とか馬鈴薯やトウキビをつくったら、ウサギやネズミが出てきて、みんな食っちまうわけですよ」

 目を開けられないほどのブヨの大群に襲われながら熊笹の除草に汗を流し、開墾しようと振るった鍬は石にはね返され、それでも何とか育った作物は獣害に遭い、翌年にはまた熊笹が畑を覆っている。当時の斎藤は、何度やっても振り出しに戻る双六をやっているような気持ちではなかったか。入植して6年ほどで、斎藤は完全に行き詰まった。

 途方に暮れた斎藤は、山のてっぺんの木に登った。そこで、悠々と生きている鳥や虫の姿に気づく。自然を克服せんと肉体を酷使しても実りの得られないわが身との違いを思った。

 「自然の循環に溶け込めば、俺も生きていけるんじゃないかと気づいたんです。人はうまいこと言うけど、あてにならん。自然を見て自分が感じたことを大事にしようと思いました」

 「まずは雑草と競争しちゃダメだ。雑草を利用してみよう、草食動物の牛を飼って、牛に雑草を任せちまえと決めたんですよ」


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