全国の書店員や各社の新書編集部員などが選ぶ2018年新書大賞に、前野ウルド浩太郎(本名、前野浩太郎)さんの『バッタを倒しにアフリカへ』(光文社新書)が決まった。
自分がほんの少しでも関わった人が脚光を浴びるのは、嬉しいものである。
前野さんとは、昨年の夏に、月刊『ウェッジ』の著者インタビューで出会った。
よく陽に焼けた前野さんは、その時37歳。秋田県出身の気鋭の昆虫学者であり、国立研究開発法人・国際農林水産業研究センターの(5年間の)任期付研究員だった。
研究対象はサバクトビバッタ。
日本ではほとんど知られていない昆虫だが、西アフリカから中東、東南アジアの砂漠・半砂漠地帯に生息し、しばしば大発生して長い距離を移動し、農作物に壊滅的な被害を与える。時に被害は60カ国以上、地球の陸地の20%にも及び、「黒い悪魔」の異名がある。
前野さんは日本国内で約8年間サバクトビバッタの室内研究をした後、2011年4月、31歳の時、初めて本格的に生息地での野外研究を行うため、西アフリカの研究拠点モーリタニアの国立サバクトビバッタ研究所に赴任した。
本書は、そんな若手昆虫研究者が現地で体験した、涙と笑いなくしては読めない稀有な「科学冒険ノンフィクション」である。
野外研究の何が「冒険」かと言えば、肝腎のバッタの大群に容易に遭遇できないのだ。
サバクトビバッタは、普段はトノサマバッタによく似た緑褐色のおとなしいバッタ(孤独相)だが、混み合う環境で育つと体色が黒っぽく変わり飛翔力も増大し(群生相)、農業に甚大な被害をもたらす「悪魔」と化す。
問題は、その変化(相変異)が、いつ、どんな条件の下に起こるか一切不明なこと(少なくとも時期的、地域的な法則性はない)。
しかも、渡航した2011年は建国以来の大干ばつ。バッタの餌の草が見渡す限り枯れて、孤独相のバッタすら探すのが難しい。
止むなく前野さんは、「バッタ発生」のニュースを聞くと、日本の約3倍の面積のモーリタニアを東奔西走することになる。悪路の連続、しかも辿り着いたと思えば空振り。もちろん調査旅行は無料でなく、乏しい研究予算からひねり出さねばならない。
加えて、地雷に進路をはばまれたり、夜中にサソリに刺されたり、言葉(アラビア語とフランス語)が理解できず、協力を依頼した現地の住民に利用されたり騙されたり……。
前野さん自身の言い方を真似れば、「地味な不幸」の連続である。
しかし、前野さんは決して諦めない。
なぜかと言えば、サバクトビバッタの生息地での野外研究は、一人前の昆虫学者になるための「一世一代の大勝負」だからだ。
背景には、博士号を取ってもなかなか常勤職に就けない日本のポスドク(ポスト・ドクター)問題がある。
急速な少子高齢化が進行中の現在、大学や企業、官民の研究機関など博士号を持つ人の受け入れポストは極端に先細りしている。大学の准教授や教授などの公募があると、一つのポストに100人以上が殺到するのだ。
貴重なポストを獲得するには、明白な業績を上げるしかない。狙った分野で、オンリーワンかナンバーワンに相当する業績。
「幸運なことに、サバクトビバッタの野外での生態は空白の研究領域でした」
と、前野さんは微笑んだ。
『聖書』にも登場する悪役なのに、科学的研究開始は1920年代。しかも、中核となったイギリスの対バッタ研究所は20数年間の活動後、71年には閉鎖されてしまう。以後もっぱら実験室内での研究しかないのだ。
「悪路に灼熱の半砂漠。頻繁な断水や停電。欧米の研究者には苛酷な調査環境なんですね。政情不安で、白人はテロの標的ですし」
現地での最初の調査旅行で前野さんは、不毛の荒野が「研究の宝庫」だと悟った。
夕刻、植物に群れるバッタを発見し、掴むと激痛が走った。大トゲが掌に刺さった。
だが、観察すると、夜間のバッタは3種の植物のうちトゲのある植物にしかいない。この植物がサバクトビバッタのシェルター(避難所)なのか? そんなことは、これまで読んだ膨大な論文にも載っていなかった。
たちまち論文一本の骨格ができたのだ。