2024年4月26日(金)

オトナの教養 週末の一冊

2018年5月11日

――BAD HOPが新たなロールモデルを示したわけですね。

磯部:T-PablowとYZERRは95年生まれ。かつては川崎区で有名な不良少年で、自分たちでも「オレらと同世代とか下の世代とかでやんちゃなヤツは、もともと、オレらの名前は知ってたと思うんですよ。そのへんはオレらが仕切ってたんで」と言っています。ノンフィクション作家の石井光太さんも中一男子生徒殺害事件を追った『43回の殺意』(双葉社)において、彼らが地元で「悪名を轟かせていた」と書いているように、それは自他ともに認めるところです。

 そして、T-Pablowが「高校生RAP選手権」というフリースタイル(即興)のラップで対戦するテレビ番組の企画において優勝したことをきっかけに、悪さではなくラップで川崎区の若者たちを先導するようになった。取材で同地を歩き回っていた際、公園でサイファー(編注:フリースタイルをリレー形式で行うこと)をしている中高生に頻繁に出会いました。iPhoneからYoutubeでビートを流して、延々とラップをしているんです。中一男子生徒殺害事件の後、被害者の友人たちがラップで追悼をする動画がニュースで流れて話題になっていましたが、川崎区ではそのような光景はそんなに奇抜なものではないんですね。

――女の子もサイファーに参加しているんですか?

磯部:女の子はラップよりもダンスをやっている子が多いですかね。iPhoneからお気に入りの日本のラップ・ミュージックを次々にかけて、解説してくれた子もいました。ラップ、ヒップホップというと馴染みが薄い方も多いでしょうが、彼ら彼女らにとっては本当に身近なものという感じです。

――BAD HOPの「stay」(https://www.youtube.com/watch?v=ypDNgra96Mw)や、T-PablowとYZERRのユニット、2Winの「PAIN AWAY」(https://www.youtube.com/watch?v=2VRaGrxZLt8)という曲にしても彼らの生い立ちの壮絶さをラップしています。2000年代以降、彼らだけではなく自身の生い立ちやハスリング(麻薬の売買など違法行為でお金を稼ぐこと)をテーマにした曲が増えてきました。この背景とは?

磯部:ヒップホップは70年代にニューヨークで立ち上がった文化で、80年代に入って日本でも日本語でラップを試みる人たちが現れるのですが、当初は海外の最先端の文化に詳しい、いわゆる文化資本が豊かな人たちが中心でした。しばらくして、不良少年たちもラップを始めますが、それもチーマーと呼ばれた、都内の私立高校に通って渋谷で遊ぶような都会的な若者たちだった。

 ただ、90年代も後半になると、ラッパーたちは日本のラップ・ミュージックをもっと広く伝えていくことに意識的になります。例えば、99年にヒットしたDragon Ashの「Grateful Days」という曲があります。そこで客演のZEEBRAがラップした「俺は東京生まれHIP HOP育ち/悪そうな奴らは大体友だち」という歌詞は知っている人も多いでしょう。彼もまた、もともとは港区出身の洒落た不良少年で、Bボーイとかヘッズとか呼ばれた「最先端の文化に詳しい」「文化資本が豊かな」若者たちに向けてラップをしていましたが、そこでは「悪そうな奴らは大体友だち」、つまり、「悪そうだったら仲間だ」と、言わば射程範囲を広げたんですね。

 実際、この頃から日本のラップ・ミュージックは郊外や地方の不良少年にも浸透していきます。例えば、81年生まれで、京都伏見区の向島ニュータウンという貧困家庭が多い団地で育ったANARCHYは、少年院のテレビでZEEBRAがラップをしているのを観て、本格的にラップを始めたといいます。あるいは、YZERRも同じように少年院のテレビでZEEBRAを観て刺激を受けたそうです。ZEEBRAは日本のラップ・ミュージックと不良少年の関係を考える上ですごく重要なんですね。

――ちょうど年越し派遣村を始め、貧困が社会問題化する時期と近いですね。

磯部:年越し派遣村では、発起人の湯浅誠さんが日本の新たな貧困問題を可視化することで議論の俎上に乗せた。それまでも日本には貧困問題は存在していたのに、半ば隠蔽されていたわけです。ラップも00年代の日本において、そういう状況にあった人々の声なき声を大きな音で鳴らす役割を果たしたと思います。BAD HOPもラップが好きだからやっているだけだと言うでしょうが、図らずも川崎の貧困や暴力の問題を広く知らしめることになった。


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