このため電力業界では、各電力会社間の供給エリアを越えた電力需給の安定性、効率性を高める狙いから、周波数の異なる東西間の佐久間(電源開発)、新信濃(東京電力)、東清水(中部電力)の3ヵ所に周波数変換所を設けている。ただ、3ヵ所合わせた容量は最大100万㌔ワット、非常時に西地域から送電するにはあまりにも小容量だ。また、同じ50ヘルツ地域の北海道電力からの送電も、北海道と本州を結ぶ北本連系線の容量は60万㌔ワットに過ぎない。
今回のようなケースとしては、2002年に東電で原発のデータ隠しが発覚し、東電の全原発17基がすべてストップしたことがあった(2003年4~6月)。夏場の大停電が危惧され、東西連系線の拡張などが論議されたが、「投資額が莫大で、それなら自前で発電所を建設した方がよい」(電力業界関係者)として頓挫した経緯がある。
今回、中部電力は静岡市にある東清水周波数変換装置の能力を増強することを決めた。今年5月にも東京電力への送電能力を3万㌔ワット増やす計画だが、電力不足に対応するには微々たるものだ。
“電力自由化”論議再燃は必至
このように、エリアを越えた送電インフラの構築が進まなかった背景には何があるのか。戦後の電力事業は、戦前の国家管理体制への反省から「極力、国からの独立を目指してきた」(電力業界関係者)。その象徴が業界団体である電気事業連合会の運営。日本鉄鋼連盟などほとんどの業界団体が法人格を持ち、事務方トップの専務理事には通産省(現経済産業省)OBが座っているのに対し、電事連は任意団体で、事務方トップ(専任副会長)には東電の副社長クラスが就き、「国のエネルギー政策は通産省と東電の間で事実上、決められた」(同)といわれてきた。
具体的には各電力会社にはエリア内での地域独占とともに供給責任が課せられた。これを担保してきたのが「コストに一定の利益を認めた総括原価方式に基づく電力料金体系だった」(同)わけだ。このため、各電力会社は供給エリアの発展が自社の成長にも結びつくとして、供給エリア内での産業育成などに尽力してきた。
この体制に風穴を開けようとしたのが90年代後半の“電力自由化”論議だった。「日本の電力料金は世界標準に比べ高過ぎる」というのが発端で、そこでは電力事業の発電部門と送・配電部門を分離する、10電力体制の事実上の解体まで踏み込んだ議論が行われたが、最終的には独立発電事業者(IPP)の拡大や大口電力料金に入札制度を導入するなど地域独占が若干、緩められる形で終わった。