五代友厚が探った「商売の可能性」
上海着から10日程が過ぎたある日、峯は訪れた「旧識ノ唐人宅」から持ち帰った菓子を五代才助に分け与え、菓子を頬張りながら五代に上海来訪の目的を聞き質す。すると五代は、「君命を思ふに」と話し出した。
じつは薩摩の殿様の命を帯びてやって来た。先ずは上海までの海上航路の状況把握だが、将来的には上海で薩摩藩の物産を取り引きし、「巨万ノ利潤ヲ得」る可能性を探るのだ、と。そこで薩摩産の樟脳を取り出して見せた。どうやら禁制品らしく、箱の蓋に記されていた「日本薩摩製」の文字が削り取られていた。さらに五代は薩摩産黒砂糖の上海での取り引きを考えていることも口にする。そこで峯は「五代子、〔中略〕国家ノ事ヲ計ル両三年ノ損失ハ少シモ厭トテ」と記した。明治初年、自らが「まさに瓦解に及ばんとする萌し」と慨嘆した大阪経済を立て直した五代友厚の、若き日の姿である。
某日、五代に加え同行商人の永井屋喜代助などと共に商人の周蘭宅を訪れた。もちろん商用である。すると周が「氷及ヒ菓子諸品ヲ出シ」て歓待してくれたのである。「我国ニテ五月ニ氷ヲ食スルナトナキコトナレハ実ニ冷気妙也」と思い、「五月初吃氷清風渡歯牙厚意多謝」と漢文を書いて謝意を表した。五月に氷を口にするなど、当時の日本では考えられなかったのだ。
峯は出入りの清国商人と筆談を試みる。やはり長毛賊(太平天国軍)の動向が知りたかったのだろう。「現今長毛賊状陳書有乎(いま、太平天国軍の状況を記した書物はありませんか)」と。すると、「無人倣出。英国之新聞紙有長毛話(誰も出版せず。英国紙は報じています)」。そこで「清人乃陳文有之乎(清国の人が書いたものは)」と尋ね返すと、「無」。
商売の可能性を探っていたのは五代だけではなく、そのため一行の多くは清国商人との付き合いを重んじていた。芝居見物に誘われ、また「唐人商人等ヲ馳走ノ為メ芝居ヲ買上ケ」もしている。清国商人を接待のために芝居小屋へ招待したのだろう。
「(芝居が)終ルノ後、婦ヲ出シテ大イニ商人ヲ取リ持シ」と記し、「姫一人〔中略〕価洋銀十二枚ナリ」と続けた。峯は上海で大量に毛筆を買い込んでいるが、「数六十二本其價洋銀一枚ナリ」とのこと。とすれば「姫一人」の値段は62×12=744本に当たる。現在の相場で、仮に筆1本が1,000円として、74万4千円。500円として37万2千円になるから、決して安い値段ではない。とにもかくにも、日本側も清国側も徹底的なオモテナシである。反日運動も嫌中感情もない“古き良き時代”の招待外交の一齣である。
一行は幕府役人に加え長州や薩摩などの各藩からの“出向者”で構成されていた。そこで待遇も、殊に支度金に大きな差があった。ある幕府役人は出張手当がないのだから「骨折カ損ナリ」と愚痴る。峯が「拙者とてご同様」とでも慰めたのだろう。すると「決而左様ニテハアルマシク」と断わった後に藩主から「仕度料トシテ五十両小遣ニ五十両」をもらった者もいるらしいぞ、と返答する。支度金と出張手当で計百両となる。幕府と西南雄藩の力の入れどころは明らかに違っていた。
高杉晋作と五代友厚の「密談」の中身とは
ところで峯は高杉が頻繁に五代と密談している様子を見て、両人共に「天命ヲ受ケ来テ国家ノ事ヲ談スルナラン」と想像する。そこで峯は五代に向って単刀直入に、「長州侯ノ内命」を受けた高杉とは大型船舶を「国産シ国家ヲ利スル事」を話し合っているのかと問い質す。
すると五代は高杉との話し合いの内容を認めた。じつは高杉から懇請されているが、「今新ニ舟ヲ求メ、事ヲ成ントスル、一旦急ニハ成リ難シ、依テ時ヲ得ツニハ不如ト云」と洩らした。「長州侯ノ内命」を受けている高杉の気持ちも判らないわけではないが、事が事だけに、そう簡単には運ばないと、五代は高杉を説得したのだろう。
ここでいう「国産」や「国家」の「国」が長州藩を指すのか。天皇親政の未来の日本国なのかは不明だが、やはり江戸幕府でないと思う。とにもかくにも「国」のためであった。
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