幕末の若きサムライが見た中国

2018年5月30日

»著者プロフィール
閉じる

樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

難民が押し寄せ物価が高騰するも「打つ手なし」

 「清国十八省ノ内、稍靜ナルモノハ僅ニ五省ニテ余十三省ハ殆ド清国ノ所領ニアラス」。全18省のうちの13省は清国の管轄外といった状況であり、すでに亡国の一歩手前だ。上海には四方から難民が逃げ込み、高騰するのは米価のみならず、諸物価も同じ。かくて「下賎ノ者ハ米或牛豕ヲ食スル能ワス」。一般人はコメも牛も豚も口にできない。人々は困窮するばかり。日本側が雇った人夫をみても「餓鬼ノ如ク骨ト皮斗リニテ一人モ支〔肢〕ノ肥タルヲ見ス」。誰もが瘦せ細って飢餓状態である。そこで峯は、「近日餓死スルモノ多カラン」と書き留めた。

 上海を流れる申江をみても、上海にやって来る難民の小舟で川面はギッシリと埋まっている。これは蘇州からの難民だそうだが、その数は10万人余。通常は一石3、4千銭の米価が今や9千銭。これじゃあどうにもならない。そこで峯は清国側と筆談して「銭尽如何」と問うと、「撫可如何」。峯が「官府亦無可如何乎」と続けると、答えは「官府難弁」。つまり当局には打つ手がないというのだ。

 昔から「仁者有勇」というが、10万人もの難民が明日の命もままならない惨状を前にしながら「憤発シテ」救おうという者もいなければ、「是ヲ哀シム」わけでもない。英仏両国などは「清国ヲ助」けようとするが、すべてがソロバン勘定で「真ノ仁心ニアラス」。難民を救わないだけではなく、「時ニ或ハ此(難民)ヲ凌辱シ少シモ哀憐ノ情ナシ。嘆息ニ堪ヘサランヤ」。英仏両国には人道もへったくれも認められない。

峯は、いったい10万人もの難民に食わせる米はあるのか筆談で問う。すると、上海は海運ネットワークが発達しているので、満州の海の玄関として開港した牛庄(現在の営口)や長江の北から、商人が米を運んでくるので心配ない。それを知った峯は、「幸有此一事、稍放心矣(幸いにも左様で御座ったか。これにて些か安心し申した)」と。

 ところが一転、中国側が問い質す。日本の米は特に上質とのことだが、なぜ上海に持ち込んで売らないのだ、と。峯は「此大禁也。若一開之、猾商相争販出矣(それは天下の御禁制でござってな。それを解いたなれば、抜け目ない商人どもが先を争って売り出すであろう)」。そんなことをしたら日本では国中の米価が沸騰し、庶民や貧民は餓死しかねないではないか、と応じている。

 かくて峯は考えた。

「米穀ハ人命ノ関スル処ニシテ国家ノ急務」だ。上海の場合は海運が発達しているから他所から大量に運べば何とか命を繋げるが、日本は山がちであり海路も陸路も十全ではなく、やはり非常用の備蓄は必至だ。だから「国家ヲ治ムル者」は自国の情勢の如何に拘わらず「米穀ヲ貯ヘサルヘカラス」と。この時、おそらく峯は、大量の難民を出し、彼らを救うことも出来ないままに滅び行く隣国を、幕末混乱の自国と重ね合わせたのだろう。峯の頭の「国」は大村藩のままなのか。それとも日本全体だったろうか。

 難民に対処するために清国当局は「難民廠」、つまり難民収容所を設置し無条件で食糧を給付しているが、上海に押し寄せる数多の難民は「自謀生計、不願入廠者也(自活を考えていて、難民収容所には入りたがらない)」との説明を受け、峯は敢えて「此説可疑(この説明は怪しかろうぞ)」と綴っている。おそらく上海の現実を見て疑ったのだろう。

関連記事

新着記事

»もっと見る