幕末の若きサムライが見た中国

2018年5月30日

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樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

「武」を軽んじる科挙が弱体化の一因?

 様々な制度について、峯は頻りに筆談を試みている。

 科挙試験に関し、日本と違って中国では文は重んずるが武は軽んじられてきた。最近では太平天国軍対策のため、若干だが武も重視されるようになったとの返答を受けて、「按スルニ当今清国ノ風、文弱ニ流レ夷蛮ノ力ヲ恃ムニ至ル。是万邦ノ殷鑑ナリ」と綴る。文弱に流れた結果、太平天国軍の前に清軍はなす敗退に次ぐ敗退。ついに上海防衛を「夷蛮ノ力」、つまり欧米の常勝軍に委ねざるを得なくなった。かくして文弱は亡国への道でしかなく、それゆえに各国は、危難に直面している清国の姿を戒めとすべきだというのだ。

 話が科挙の弊害に及ぶや、先ず峯は「文学」の盛行という伝統を讃えてみせる。だが、峯の言う「文学」は現在の文学ではなく、儒教古典や二十四史と呼ばれる歴代王朝の正史を捏ね繰り廻す学問を指しているはずだ。紙の上での詮索のみ力を注いだからといって、それは「実用甚タ稀ナリ」。学問には励むといったところで専ら科挙試験合格を目指すものでしかなく、官途に就く道が科挙試験に限られてしまっているところに国家衰亡の原因が潜んでいる。バカバカしいばかりに盛大な葬式もまた大金を浪費するばかりで、「清国衰乱ノ極ルコト」と断じた。

 上海に集められた中国兵の数が1万2千人だと知って、峯は「按スルニ兵ノ要ハ精ニ在リテ衆ニアラス」。「徒ニ其衆多ナルヲ夸シテ却テ其微弱ノ恥ヲ顕スヲ知ラス」と記した。多いからと言って弱兵の寄せ集めでは敵に勝てるはずがないじゃないか、である。

 「現ニ上海ノ陣屋ニ到テ其兵卒ヲ見ルニ」というから、中国軍の兵舎でも訪れたのだろう。そこで目にした中国兵が着ていた軍服はボロボロ、顔は垢だらけ、裸足、頭を防備する鉄兜もない、そのうえ武器を持たない。「皆乞食ノ如ク一人ノ勇アルヲ見ス」。こんな奴らじゃ、俺1人で5人でも相手にできる。1万騎の我が強者が打ち揃って押し寄せたら、広い大陸を縦横無尽に暴れて見せようぞ――峯の心は高鳴るばかりだ。

権威もへったくれもない最高指揮官

 そもそも「豹ノ一班ヲ見テ其ノ全体ヲ見サレハ固ヨリ其美ヲ知ルコト能ハス」。だから広大無辺の大陸の一部にしか過ぎない上海を見ただけでは清国全体についてとやかくはいえないものだが、名医というものは脈を診ただけで病名から治療法までたちどころに判断するものだといいながら、峯は「清国ノ病」を診断してみせた。

 「病ハ特ニ腹心ニアルノミナラス、面目ニアラワレ、四躰ニアフレ、一指一膚モ痛マサル所ナキナリ」。つまり、もう国を挙げてガタガタですね、という見立てだ。太平天国軍の猛攻に為すすべなく、国の防衛と治安を外国勢力に頼るしかないばかりか、貿易関税業務も英仏両国の思うが儘で清国は口を挟めない。「運上税銀スラ自ラ取ルコト能ハス」、つまり徴税収入も全て英仏両国に取り上げられてしまっている惨状である。上海を例に全土を“診断”すれば、もはや救国は不可能であり、亡国は必至である。兵士が不足しているから、上海防衛の任務は英仏両国に委ねるしかない。学校は英国兵の駐屯地となり、「影形モナク実ニ哀ナル形勢」としかいいようはない。

 上海の最高指揮官である「道台」を表敬訪問した際には、ともかくも「送迎共ニ甚タ礼有ルカ如シ」だが、参列する官吏は「野鄙ナルコト見ニ忍ヒス」といった状態である。たとえば日本側の陣容に興味津々の態であり、着物に触って値段を尋ねたり、互いにヒソヒソと評定を繰り返したり、じつに野卑である。加えて一般の人々も日本側一行を取り巻いてジロジロ。清国側役人が制してもお構いなし。日本側一行を見送るために道台が出てきたところで、道を開けるわけでもない。「其形勢、実ニ法ナキカ如シ」であった。まさに無秩序で混乱の極みだ。

 また道台が日本側を表敬訪問した時のことだが、敵意を持っていないことを見せるために道台は丸腰となった。すると道台の家来、つまり「刀ヲ持チ門外ニ待居ル者」が肝心の刀を峯たちに見せて、「自ラ其鈍刀ナルヲ嗤笑ス」。「鈍刀」であることを自嘲する。かくて「道台ノ権威ナキコト此一事ヲ以テ察知スヘシ」となった。権威もへったくれもない。先ずは粗にして野だが卑でもある、といったところだろう。時代が清国人をそうしてしまったのか。それとも混乱の社会だからこそ、人としての地金が露わになってくるのか。

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