2024年7月16日(火)

幕末の若きサムライが見た中国

2018年5月30日

 上海は世界各国が交わる都市だから情報が早いとして、その一例を挙げている。峯が日本人がやって来るのは何日前に知ったかと筆談で尋ねると、「土人曰、本月初一日以聞貴邦人到此地(清国人がいうには、今月一日に貴国の方々のいらっしゃると聞いた)」と。そこで峯は、我々の上海到着は6日なのに、なんとも耳の早いことだと感心しつつ、「万国通商ノ船ナレハ皆前ニ是ヲ聞キ、其貨ヲ待チ居ルト見ユ」と。やはり迅速で確実な情報の入手こそが「万国通商」のカギであることは、昔も変わらなかった。

「戦の沙汰もカネ次第」という現実

 難民の1人に「開雲ト云者」がいて、長崎との間を往来していた経験から「少シク我語ニ通」じていた。そこで太平天国軍との「合戦ノ様子ヲ尋ネ」たところ、清国軍は「銀銭ヲ出シテ之(英仏軍)ヲ頼」んだ始末である。たとえば1万の太平天国軍が上海を攻めるとすると、「洋銀三万枚」で依頼するが、英仏軍は「五万枚」と値段を釣り上げる。かくて英仏軍は「銀ノ多少ニ依テ請合、軍ヲ買フコトノヨシ」。地獄ならぬ戦の沙汰もカネ次第だった。

 かくて戦争を請け負った英仏軍は「専ラ大砲ヲ用ヒ」、一方の太平天国軍は「素騎戦ヲ専ラトス」。大砲に馬では勝てる道理がない。そこで太平天国軍は「銃丸ニ恐レ上海ヲ襲フコト能ワス」となるわけだ。とどのつまり英仏軍は戦争商売である。「英仏ノ兵ヲ用ユル、義ニ出ス只利ヲ是貪テ人命ヲ顧ミサル等ノコト、此一事ヲ以テ察スヘシ」と。

 そこで峯は日本が置かれた情況に思い至ったのだろうか。英仏両国は幕府やら西南雄藩の間を往来し、あっちに策を授けたり、こっちに武器を売り込んだりしているが、やはり「義ニ出ス只利ヲ是貪テ人命ヲ顧ミサル」ばかりだ、と。

 「七月朔日、潔上海近郊ノ陣屋ニ至テ兵卒ニ聞シニ当時、長毛賊上海ヲ距ル九十里、青浦ノ地ニ退キ先ス此ノ近郊ハ穏ヤカナリト云フ」と。太平天国軍の攻勢は止んだ。

 上海から戻ると数年で大政は奉還され、江戸は終わり明治の次代となる。生没年不詳。残念ながら、峯潔が激動の時代をどう生きたのかは不明である。

  
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