幕末の若きサムライが見た中国

2018年5月30日

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樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

 上海は世界各国が交わる都市だから情報が早いとして、その一例を挙げている。峯が日本人がやって来るのは何日前に知ったかと筆談で尋ねると、「土人曰、本月初一日以聞貴邦人到此地(清国人がいうには、今月一日に貴国の方々のいらっしゃると聞いた)」と。そこで峯は、我々の上海到着は6日なのに、なんとも耳の早いことだと感心しつつ、「万国通商ノ船ナレハ皆前ニ是ヲ聞キ、其貨ヲ待チ居ルト見ユ」と。やはり迅速で確実な情報の入手こそが「万国通商」のカギであることは、昔も変わらなかった。

「戦の沙汰もカネ次第」という現実

 難民の1人に「開雲ト云者」がいて、長崎との間を往来していた経験から「少シク我語ニ通」じていた。そこで太平天国軍との「合戦ノ様子ヲ尋ネ」たところ、清国軍は「銀銭ヲ出シテ之(英仏軍)ヲ頼」んだ始末である。たとえば1万の太平天国軍が上海を攻めるとすると、「洋銀三万枚」で依頼するが、英仏軍は「五万枚」と値段を釣り上げる。かくて英仏軍は「銀ノ多少ニ依テ請合、軍ヲ買フコトノヨシ」。地獄ならぬ戦の沙汰もカネ次第だった。

 かくて戦争を請け負った英仏軍は「専ラ大砲ヲ用ヒ」、一方の太平天国軍は「素騎戦ヲ専ラトス」。大砲に馬では勝てる道理がない。そこで太平天国軍は「銃丸ニ恐レ上海ヲ襲フコト能ワス」となるわけだ。とどのつまり英仏軍は戦争商売である。「英仏ノ兵ヲ用ユル、義ニ出ス只利ヲ是貪テ人命ヲ顧ミサル等ノコト、此一事ヲ以テ察スヘシ」と。

 そこで峯は日本が置かれた情況に思い至ったのだろうか。英仏両国は幕府やら西南雄藩の間を往来し、あっちに策を授けたり、こっちに武器を売り込んだりしているが、やはり「義ニ出ス只利ヲ是貪テ人命ヲ顧ミサル」ばかりだ、と。

 「七月朔日、潔上海近郊ノ陣屋ニ至テ兵卒ニ聞シニ当時、長毛賊上海ヲ距ル九十里、青浦ノ地ニ退キ先ス此ノ近郊ハ穏ヤカナリト云フ」と。太平天国軍の攻勢は止んだ。

 上海から戻ると数年で大政は奉還され、江戸は終わり明治の次代となる。生没年不詳。残念ながら、峯潔が激動の時代をどう生きたのかは不明である。

  
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