2024年11月23日(土)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2011年5月11日

 こうした評論の裏に、温家宝の指示があるとするならば、温は果たして人民日報という巨大宣伝組織を味方に付けたのか。あるいは今や改革派知識人から強硬な保守派と見られている胡錦濤が実はバックに控えており、温を前面に立たせ、改革機運を盛り上げようとしたのか。または単に、5月9、10両日、ワシントンでの米中戦略・経済対話を前に、中国の人権問題に懸念を表明し続けている米国向けのポーズなのか。「内部で様々議論が行われているのは間違いない」と消息筋は話す。

温首相夫人の登場と薄熙来批判

 さらに興味深いのは、温家宝が呉康民との会食で、夫人・張培莉を登場させ、呉を通じて写真も公開されたことだ。宝飾界の大物である夫人に関しては数年前から金銭スキャンダルの噂が絶えず、温は2003年の首相就任以降、外遊に夫人を同伴させたことはなく、夫婦そろった姿が公になったことはなかった。北京の中国筋は「夫人はまさに温首相のアキレス腱。数年前には離婚情報まで流れた」と明かす。

 温がこのタイミングで、香港紙を使って夫人を表に出したことは、夫人をめぐる悪い噂はすべて「シロ」であることを党内にアピールする狙いがあったとの見方も出ているのだ。

 一方、温は呉康民に続き、クアラルンプールでの華僑との会見でも「封建の遺物や文革の害毒」に言及したことは注意すべきだろう。これに即座に反応したのが、重慶市トップの薄熙来党委書記(党政治局員)だったことも興味深いものだ。

 革命第1世代の保守派重鎮・薄一波(故人)を父親に持ち、高級幹部子弟グループ「太子党」の大物薄熙来は、民衆に今も絶対的な存在である毛沢東を持ち上げ、「紅歌」(革命歌)を歌う政治キャンペーンを展開。薄が主導した「打黒」(黒社会=暴力団組織=撲滅)キャンペーンは、文革時代を想起させる狂信的な摘発手法が賛否両論を呼んだ。

 温家宝の発言は、こうした薄熙来の政治手法に対して異を唱えたものと、とらえられたのは当然だった。 

 薄熙来は29日、香港・マカオのメディア代表団と会見したが、その中で「打黒」について「実事求是、依法弁案」(事実に基づき、法によって処理した)と強調。「紅歌」キャンペーンに対しては「決して極左運動ではない」と反論したのは、温発言を意識したものともささやかれている。

「孔子像」も政治問題化

 2012年秋には5年に一度の共産党大会が開催され、習近平国家副主席を党総書記に、国家指導部の大幅入れ替えが行われる。薄熙来も現在9人いる政治局常務委員に昇格するとの見方が強いが、水面下では激しいせめぎ合いが展開されているのだ。

 儒教創設者「孔子」をめぐってもすぐ政治問題化してしまう敏感な時期に入った。儒教や孔子は中国の政治と密接に関わり、「清末以来の儒教批判はつねに政治と密着し、政治目的を達成するために、あるいは反対するために唱えられたのであった」(丸山松幸「現代における儒教」岩波講座現代中国第4巻『歴史と近代化』)

 北京・天安門広場東側に面した国家博物館前に突如、9.5メートルの巨大孔子像が登場したのは今年1月。しかしその3カ月後の4月にはまた突然、撤去された。社会の安定と秩序を回復し、中華文化を復興させるため胡錦濤指導部は「和」の象徴である孔子を持ち出したのだろうが、天安門には毛沢東の巨大肖像画が掲げられている。文革時代に毛沢東は「封建的」として孔子や儒教を徹底排斥した。いわば2人はいがみ合った仲なのである。

 毛沢東を今も信奉する幹部にすれば、孔子像に反発したし、改革の深化を求める知識人らも孔子は「専制」の象徴として映り、「いまさら何で孔子なのか」と感じた。安定最優先の中、孔子像をめぐる議論が政治化してしまった結果、撤去せざるを得なかったのが真相だろう。北京は今、まさに政治の季節に入ろうとしているのだ。


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