だが「Akira」はビレッジボイス紙で大きく取り上げられるなどして、サブカルチャーを愛する若者たちの間でカルト的作品となった。さらに90年代の「ドラゴンボール」の世界的ヒット、ジブリ作品の高評価によって本格的にAnimeとMangaが英単語となり、世界市民権を得た印象だ。
もともとアメリカには、スーパーマンやスパイダーマンのコミックの基盤があり、日本のマンガもその延長線上で受け入れられたようである。
だから少年漫画が主流で、少女マンガは店頭でもほとんど見当たらなかった。
だが実は、少女マンガも世界を駆け巡っていたと教えてくれたのは、友人のジェームスだった。
「レイディ・オスカルを見て育った」
ジェームスは父の母国であるイタリアのベローナで生まれ育ち、父が亡くなってからアメリカ人の母親とアメリカに移住。ニューヨークのコロンビア大学と大学院を卒業したインテリの、映画プロデューサーである。
まったくアクセントもないネイティブの英語を話しながら、イタリア語も「母国語」であるという彼が、どのようにして完璧なバイリンガルとして育っていったのか、とても興味があった。
イタリアではどんな子供時代を過ごしたのか、という話をしていたときに、意外な話題が飛び出したのである。
「小学生の頃のお気に入りのテレビ番組は、「レイディ・オスカル」だった。あれはもともと日本のアニメだよね」
なんと。
日本のマンガ界において、「オスカル」といえばあのオスカル様しかいない。
宝塚歌劇団が舞台化し、アニメや映画にもなった世紀の大ヒット作、池田理代子氏の「ベルサイユのばら」。この作品の主人公の一人である男装の麗人、オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェである。
「そ、それはマリー・アントワネットの近衛兵の話!?」
「そうそう」とジェームス。