「独立か、統一か」で語るのは時代遅れ
そして、統一地方選挙ではもうひとつの大きな変化があった。台北市長に、(民進党には支援を受けたものの)民進党でも国民党でもない無所属の柯文哲氏が当選したのだ。台北市長は文字通り首都台北の顔であり、総統選挙の登竜門でもある。事実、民主化以降の総統は、現在の蔡英文総統を除き、李登輝・陳水扁・馬英九の3人とも台北市長経験者だ。また、台北市は国民党支持者が多く、国民党の牙城とも言われた票田だった。そこへ、政治にはいわば全くの門外漢で、素人ともいうべき医師の柯文哲氏が登場し、国民党候補に圧勝したのである。
これは台湾政治の新しいステージの幕開けだったとも言える。民主化以降、それまでの台湾であれば、総統選挙や統一地方選挙など、全国規模の選挙戦となれば、自ずと構図は「緑(民進党)か、青(国民党)か」「独立か、統一か」「台湾か、中華民国か」などというステロタイプで報じられることが多かったし、それがまだかろうじて可能だった。
つまり、緑がイメージカラーの民進党は、「私は台湾人」というアイデンティティを強く持ち、中国とは距離を置いて、台湾に重点を置く人たちに支持されてきた。なかには過激な「台湾独立派」もいる。
一方で、青がイメージカラーの国民党は、台湾よりは中華民国を前面に出し、中華人民共和国とも近づいて、同じ中国という傘のもとでやっていこうという考え方だ。当然、最終的には中国と一緒になりたいと望む人も少数ながら含まれる。
こうした説明はかなり凝縮したものになってしまうが、対立軸が単純かつ明確になると、有権者たちは熱狂しやすい。緑か青か、つまり敵か味方か、という簡単な構図になるからだ。
2000年、台湾初の政権交代が行われ、民進党政権が誕生して以降、二度の政権交代があり、その間に幾度も統一地方選挙が行われた。そして、その選挙ごとに持ち出されてきたのが、上述の構図なのである。ただ、こうしたステロタイプを、完全に時代遅れあるいは非現実的なものとしたのが、2014年の「ひまわり学生運動」であり、それに続く選挙での無党派層の勝利であった。特に、顕著なのは若者たちだ。
台湾の若者が「現状維持」を望むワケ
彼らは生まれたときから自由で民主的な台湾社会のなかで育ってきた。白色テロも戒厳令も経験せずに生きてきた世代だ。もしかしたら彼らのなかには、老人たちから「国民党が勝ったらまた白色テロの時代が来る」と言われた若者もいるかもしれない。将来を誓い合った相手を実家に連れて帰ったら「外省人との結婚は許さない」と言われたカップルがいるかもしれない。
ただ、こうした歴史的な悲劇も、「省籍矛盾」と呼ばれるエスニック・グループ同士の対立も、若者たちにとって、おおむね大きな問題ではなくなっている。悲しい歴史の事実は忘れ去られるべきではないが、私の周りにも、本省人と外省人の夫婦はたくさんいる。夫婦そろって熱烈な台湾独立派の友人が「うちの奥さんは外省人なんですよ」とあっけらかんと話す。そもそも、本省人や外省人といった単純な視点だけで、台湾の社会を見ることが不可能なのだ。
さらに言えば、彼らにとって物心ついたときから台湾は中国とは別個の存在だったわけで、今さら独立も統一もない。彼らが「生まれながらの独立派」を意味する「天然独」と呼ばれるゆえんだ。そのため、彼らが望むのは当然のごとく「今のまま」、要は現状維持である。