2024年4月14日(日)

パラアスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた

2018年11月13日

初の日本代表選出、人生最高の君が代を聞く

 ウィルチェアーラグビーを始めたときから島川慎一ら日本代表選手を目標にしてきた。そして、念願の日本代表の一員となり国際大会の舞台で国歌を聞いた。

 「もしも怪我もなく、昔の落ち着きのないままの性格では何をやっても日の丸を背負って戦うことなんて、まず無理だったでしょうし、考えられません」

 「幼い頃から聞いていたはずの『君が代』ですが、日本代表に選ばれて聞いたときは感極まりました」

 その後、アジアオセアニアの大会を経て2012年のロンドン・パラリンピックへと歩を進める。言わずと知れた世界最大の国際大会である。

 その開会式。会場には約8万人の大観衆が訪れていた。

 「国ごとに並んで入場を待っているのですがスタジアムの薄暗い通路の向こう側から興奮が伝わってきました。『ジャパン』って紹介を受けて会場に入る瞬間、その照明の明るさと揺れるような大歓声に圧倒されました。全身に鳥肌が立って、あれは言葉にならない感覚です。僕の人生の中であんなに誇らしく楽しい思いをしたことはありません」

 国内におけるパラスポーツは競技そのものを楽しむというより、家族や友人、会社の同僚など、選手に近しい人たちが会場を訪れるケースが多いと考えられる。また、これまでウィルチェアーラグビー日本選手権の観戦は無料だった(今後見直される可能性はある)。

 しかし、パラリンピックにはチケットを購入し競技を楽しみになってくる観客が世界中から来場する。それだけに歓声には熱が入り、ときにブーイングも起こる。

 全ては初めてのことばかりで若山は国内とはまったく異なる光景に目を見張った。これこそが世界の大舞台なのだ。

 そして、その大舞台は特別な記憶として心に刻まれることになった。

 「当時の日本代表は2010年の世界選手権で3位。2年後のロンドンでもしっかり戦えていたのにメダル獲得には及ばず4位という悔しい結果に終わりました」

 「ですが、僕個人としては、ほぼ出場機会がなかったことの方が悔しくて悲しかったです。日本代表に選ばれていながら、試合に出られたのはオーストラリア戦で点差が少し開いた後とか、フランス戦でほぼ勝ちが決まった後です」

 「当時の僕には世界と戦える技量も実績も持っていなかったということです。だから、2016年のリオ大会では監督に信頼され、勝敗を左右するような選手になりたいと思いました。あの悔しさが僕を変えたのだと思います」

世界の頂点に向けて

 2014年韓国のインチョンで開催されたアジアパラ競技大会に若山はキャプテンとして出場した。若手の選手に機会を与えるという意図で組まれた日本代表だった。

 国際大会にキャプテンとして出場するという貴重な経験を積んで、2016年のリオ・パラリンピックを迎えた。

 だが、ここでも試練が待っていた。大事な初戦を前に体調を崩して出場を見合わせたのである。監督からは第2戦のフランス戦にも積極的に出すつもりはないと告げられていたが、試合状況が思わしくない場合には出場することを申し合わせていた。

 「ロンドン大会のときにはなかった信頼だと感じました。体調が万全でなくても出すということですから、監督が戦力として期待と信頼を置いてくれているということです」

 若山は障害の重いいわゆるローポインターと呼ばれる守備的な役割を担う選手だ。相手を弾き飛ばして、派手なコンタクトで得点する役割ではないが、ハイポインターが得点するためには若山らローポインターの存在は大きく、彼らが戦略的に働きかけることによってチャンスが生まれる。

 この競技は激しいコンタクトに目が奪われがちだが、コート上は緻密な戦術によってゲームが組み立てられている。

 若山の強みは常に冷静にコート上の展開を把握し、いち早く次の判断を行い、いかに相手に先んじるか、その妙にある。体のサイズや筋力、スピードで勝る海外の強豪国と戦うには、知のスピードが不可欠なのである。

 リオ・パラリンピックで日本代表は世界のトップに伍して戦い堂々の3位。銅メダルを獲得したことは記憶に新しい。

 そして今年(2018年)の夏、オーストラリアで開催された世界選手権で、世界ランク1位のオーストラリアを僅差で下し初優勝を果たした。


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