2022年12月8日(木)

オトナの教養 週末の一冊

2018年11月22日

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本多カツヒロ (ほんだ・かつひろ)

ライター

1977年横浜生まれ。2009年よりフリーランスライターとして活動。政治、経済から社会問題まで幅広くカバーし、主に研究者や学者などのインタビュー記事を執筆。現在、日刊サイゾーなどに執筆中。ブログ:http://golazo-sala.cocolog-nifty.com/pinga/

――#MeToo運動に対するフランス国内の一般的な反応とはどんなものだったのでしょうか?

プラド夏樹:もちろん男性たちは居心地悪そうにしていましたよ。でも、フランスでの#MeToo運動への一般的な反応の特徴は、セクハラを告発しても、それが「だから男はもうイヤ」といった男性排除の方向には向かなかったことだと思います。「男女が気持ちよく同じ社会で暮らせるように男性も協力してくださいよ」というニュアンスが一般的だったような感じがします。

 たとえば、痴漢が問題になっても、では女性専用車両をということになると、女性の方から「それはイヤだ」ということになる。先日、プランニング・ファミリアル(避妊・中絶の無料相談に乗ったり、性教育の講師を派遣する非営利団体)の会長にインタビューをする機会がありましたが、そういったフェミニズム系の団体の人々でも、「男性たちにちょっとは女性の立場をわかってくれ、配慮が欲しいって言いたかっただけのこと。同じエレベーターに乗ってくるなとか、目を合わせるなとか、話しかけるなとかそこまで言ってるわけじゃない」と言っていました。

 もう一つ、フランスに特有だったのは、「職場セクハラやレイプの取り締まりは強化すべき、法制化はしっかりやってもらいたい、でも……」という多様なニュアンスの議論が生まれたことだと思います。

 その極端な例の一つが、女性の側から生まれた「プライベートな場でのセックスに関してお上から風紀の取り締まりを受けるのは我慢ならん。YesかNoかは自分で言わせてほしい」というド・ヌーヴ宣言だったと思います。この宣言には確かに挑発的な部分もあり、バッシングも受けましたが、#MeToo全体主義になるのを防いで、多様なニュアンスの議論を可能にしたという点でメリットがあったと思います。

――1990年代にアメリカらフランスへセクシャルハラスメントの概念が輸出されたと聞きます。その際にも、今回の#MeToo運動同様に浸透したわけではなかった。この理由についてはどうお考えですか?

プラド夏樹:アメリカとフランスでは歴史が違いますよね。アメリカは原住民であったインディアンの土地を奪い、大量虐殺して建国された国です。さらに建国以来、絶えず他国へ軍事干渉し、国民間での分断も激しい。こうした暴力の連鎖の中では、女性目線が社会の中に取り入れられることは難しく、女性の立場は辛いものだったのでは? と思うんです。

 だからそこには、早くからセクハラを告発すべき必然性があったのではないかと思います。でも、それを土壌が違うフランスに直輸入しても、すぐには根付きませんでした。

 もちろん、フランスにも女性蔑視はありました。女性は王権を握る資格がなかったし、選挙権も1945年までありませんでした。ただ、女性がそれほど差別を「許せない!」と思わないですむ文化、「まあいいっか」と腹の虫を収めることのできる文化がありました。たとえば、聖母マリア信仰や、女性が上位である騎士道恋愛、女性に敬意をはらうマナーであるガラントリー(簡単に言えばレディファースト)といったものがあり、社会の中に女性目線がある程度取り入れられていた。あるいは女性は公の政治参加はできなかったけれども、16世紀以来、サロンというプライベートな場では貴族女性が政治に対する意見を言っていた。特に18世紀は女性が強かった時代ですが、その頃の警察の書類の中には、民衆レベルの女性に対する暴力に関する裁判や、子どもの養育費を払わない男性に対する判決が残っていたりと、女性の立場はそれなりにあったわけです。

 そうした文化の中で、「差別されている」という感情が、よく言えば幾分、緩和されていた、悪く言えば気づかずにすんだ、それがアメリカ生まれのセクハラ概念の浸透がフランスで遅れた理由だと思います。

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