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2018年12月3日

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樫山幸夫 (かしやま・ゆきお)

元産經新聞論説委員長

元産經新聞論説委員長。政治部で中曽根首相番、竹下幹事長番、霞クラブ(外務省)詰め、ワシントン特派員、同支局長、外信部次長、編集局次長、正論調査室長兼論説委員、産経新聞社監査役を歴任。2度のワシントン勤務時代は、ホワイトハウス、国務省などを担当、米国の内政、外交など幅広く取材した。

困難を極めた過去の交渉

 領土交渉には長く困難な歴史がある。56年の共同宣言に国後、択捉を明記することこそできなかったものの、日本側は松本・グロムイコ往復書簡にこぎつけ、それを唯一の根拠として粘り強い交渉を重ねてきた。しかし、ソ連、ロシアは強硬で、とくに、冷戦時代がそうだった。「解決済み」と突き放し、「ソ連に余った土地はない」などと愚弄、「ミスター・ニエット(ノー)」いうニックネームを奉られたグロムイコ外相らを相手にしてきた外務省の労苦は察するにあまりある。

 望みを捨てない日本の粘り強さが功を奏し、徐々にではあるが先方を動かした。1973(昭和48)年、田中角栄首相(当時)がモスクワでブレジネフ書記長(同)と会談した際、「第2次大戦時からの未解決の諸問題を解決して平和条約を締結する」ことで合意。「諸問題」の中に「4島」が入ることを書記長は確認した。日本にとって初めての大きな成果であり、このとき記者ブリーフィングを行った外務省幹部が感極まって声を詰まらせたことは語りぐさになっている。

 その後も、ソ連、ロシア側の強い巻き返しににあったが、曲折の末、4島名を明記し、その帰属について交渉を継続するという93年の東京宣言(細川護煕首相とエリツィン大統領=いずれも当時)、4島を列記、東京宣言を敷衍した2001(平成13)年のイルクーツク声明(当時の森喜朗首相とプーチン大統領)にこぎつけた。

首相は国民の信を問え 

 今回、もし2島返還で「終止符を打つ」ということであれば、これまで困難な交渉を継続してきたのは、むなしい努力だったということになってしまう。

 北方4島は歴史的にみて、これまで一度としてロシア領になったことはない。どさくさの中で、ソ連が不法に奪い取ったわが国固有の領土だ。「70年間全く変わらなかった」(安倍首相)からといって、それを放棄することは、泥棒を許し、盗んだ物を与えてやることに等しく、国家構成の最高要素である主権の放棄につながる。主権を失えばもはや国は成り立たない。

 尖閣、竹島など他の日本固有の領土をめぐる中国、韓国との論争にも深刻な影響をもたらすだろう。「70年間、不当に居座っていれば、日本はあきらめるだろう」という誤ったメッセージを送ることにもなり、安全保障上、由々しき事態を招く。

 方針を転換したのなら、首相はあやふやな説明を繰り返すのではなく、国民にあらたな方針とその理由を十分に説明する必要があろう。論議をつくしたうえで、国会を解散し国民の信を問うべきだろう。

 それをせずに、水面下で交渉を進め、合意して初めて明らかにして劇的効果を狙うなどということはあってはならない。首相のハラの内など、推測の及ぶところではないが、国益のかかった重大かつ深刻な問題で〝秘密外交〟など絶対に許されない。

 ブエノスアイレスで日露首脳会談が行われた12月1日、東京は、快晴、穏やかな天候に恵まれた。北方領土返還運動の気運を高めようと、元島民や根室市、羅臼町など地元自治体の関係者ら500人が、日本橋周辺を行進した。出発式で宮腰光寛沖縄・北方担当相が「返還交渉の本格的な時がきた。みなさんと同じ思いで返還運動に取り組みたい」と挨拶したが、アルゼンチン滞在中の安倍首相、河野太郎外相らの姿はなかった。

 領土交渉が微妙な時期にきていることを意識してか、「領土を返せ」などより「日露の新時代を築こう」など前向きなスローガンが目立った。日露交渉が思わぬ展開をみせてきていることに対する国民の戸惑いを象徴するかのようだった。
  
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