2024年11月22日(金)

WEDGE REPORT

2018年12月9日

中国人の恐るべき「粘り強さ」とは

 ここで少し視点を変えてみたい。

 諸橋轍次(1883年~1982年)は、1925年から2000年に補巻が刊行されるまで75年の歳月をかけて『大漢和辞典』を完成させた漢学者である。彼は大正時代に訪れた中国における見聞録を『遊支雜筆』(目黑書店 昭和13年)として発表しているが、その中で中国人の性格を「極めて呑気」と指摘した。だが、たんに「呑気な生活をして居る」わけではない。その間に、何かを学んでいるというのだ。(なお引用文中の旧漢字のみ、現行漢字に改めておいた)

 たとえば小鳥を飼っている人を見ていると、「一時間二時間、長きは半日近くも一つ場所に立つて同じことを反覆して居る。如何にも其の呑気さには驚かざるを得ない」のだが、「斯かる呑気な生活をしている間に一つの要領を得て居る」。つまり呑気に過ごしている間に「何時か知らん小鳥の習性を能く洞察し」、遂には小鳥に同化してしまうというのである。

 この小鳥飼いの“学習ぶり”を、諸橋は「長江の開拓」に援用して解説した。

「揚子江沿岸は今から九十年、百年以前に欧米の人々に依って多く開かれた」。先鞭を切ったのがイギリスで、ドイツ、アメリカ、フランスと続き「どしどし外人の経営が伸び」、これらの国々の力によって揚子江に沿った港には次々と外国との交易のための施設が設けられ、経済建設が進む。だが、「其の間支那の人々は黙つて居る、自分の土地が外人の手に依つて開かれるといふことに就て何等の故障も申し出でず、只じつと静観して居」る。

 静観するままに時が過ぎた。ところが「今から約十年前、即ち揚子江沿岸が開かれ始めてから八十年、九十年を経過した」頃になると、「恰も地に湧いて居る虫がうぢうぢと動き出すやうな姿」で「支那民族が動き出しました」。

 そうなると「流石に粘り気の強い英米人でも、そこに居辛く感ずるやうにな」り、10年ほど前から「到頭英米独仏の各列強が、段々揚子江の上流から追い下げられ」、やがて居留地は上海とその周辺のみに限られてしまうようになる。こうして彼らが得たものは「英米人が五十年、百年に亙って経営した其の設備」であり、そこで「之に注いだ資金と、而してそれに伴う知識文化といふものを唯取りにしたのであります」。

「要するに、行動が直に結果を伴わなくとも、暫くは我慢する、長きに亙つて終局の結果を収めようといふ、意識的か無意識的かの粘り強さが、支那民族の一つの恐るべき力」である。「呑気な中に要領を得、長きに亙つて或る目的に就いて実現性を有する。支那の民族の力強さは実に其の点にあるのではありますまいか」と。

 この諸橋の指摘は、先に挙げた鄭所長の「我われはアメリカが中国を変えることができるといった幻想を持ってはいない。中国だけが自らを変えることができる」に通ずるようにも思える。

「中国だけが自らを変えることができる」とはいうが、現状では中国は変わりそうにない。中国が変わるのを待つほどに、恐らくウォール街は「呑気な生活をして居る」わけにはいかないだろう。ならば「火力の差」に頼って問題解決を一気に逼るのか。

日本が見落としがちな視点

――こう見てくると、どうやらシンガポールでは、米中貿易戦争をかつての日米貿易摩擦に重ね合わせて見ているようにも思える。つまりアメリカがアメリカの敵として急浮上してきた“新たな経済大国”に対して示す過剰なまでの市場開放要求を巡っての争い、である。だが、それとは別に近現代において米中の間で繰り広げられてきた特殊な2国間関係の文脈で捉えているようでもある。アメリカが長年に亘って中国に対して抱いてきた幻想から、覚めることができるかどうか、である。

 それにしても「極めて呑気」ではあるが無為に「呑気な生活をして居る」わけではないという諸橋の視点は中国が見せる一面の真実を微妙に抉り出すと同時に、現在のわが国で見られる短兵急な結論を求めたがる中国論議に対する頂門の一針とはいえないだろうか。

  
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