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2018年12月18日

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飯塚恵子 (いいづか・けいこ)

読売新聞欧州駐在編集委員

読売新聞・欧州駐在編集委員。東京都生まれ。上智大学外国部学部英語学科卒。読売新聞社入社後、盛岡支局を経て、政治部記者として首相官邸、自民党、外務省、防衛庁、那覇駐在などを担当。途中、米・フレッチャー法律外交大学院で法律外交修士修了。ロンドン特派員、米ブルッキングス研究所客員研究員、政治部デスク、論説委員、アメリカ総局長(ワシントン)、国際部長を経て現職。

 

【メイの政治手腕】

 こまごまと説明したのは、一連の経緯にメイの政治手腕のレベルと取り巻く状況が凝縮されているからである。

EU離脱協定案の英下院での採決が延期された翌日の11日、英議事堂前では、EU離脱派も大勢集まり、シュプレヒコールを展開。(12月11日、ロンドン市内で。飯塚恵子撮影)

 二つの疑問がわく。まず、メイはどの時点で延期を決断したのか。サンデー・タイムズが9日付だったということは、土曜日の8日にはとっくに延期方針が固まっていたことになる。

 次に、メイはどの範囲までこの重大決心を伝えていたのか。側近とされるバークレイやゴブは、明らかに直前まで知らされていなかった。信頼を勝ち取る必要のあるEUのトゥスクにも、本心を伝えていなかった可能性が大きい。

 この考察からいえるのは、二つのことである。まず、メイが早期に延期を決断しながら側近に伝えていなかった場合、彼女には強固な信頼関係で結ばれる同志が極めて少ないことが改めてはっきりしたことになる。

 次に、メイ本人は土壇場まで11日の採決に臨むつもりだったにもかかわらず、一部側近が先に新聞に情報を流し、その通りになってしまった場合。事態の読みが甘く、周辺に外堀を埋められ、追い込まれて延期した、となれば、もはやメイには当事者能力がないことになる。

【宰相の器】

 実は、いずれのケースも、メイの政治家としてのキャラクターを物語る側面がある。ことの真相は、メイ本人が回顧録を出すまで闇の中だろうが、メイの日ごろの政治スタイルには、宰相としての力量に疑問符がつくことが多い。

 英国の元EU大使で、現在は内閣の公式歴史家として、英・欧州関係の正史を編んでいるスティーブン・ウォールは、メイの首相としての器について、筆者の問いにこう答えた。

 「メイは、自分の責任を非常に真剣に考えている。ブレグジットはそのぐらいまじめにやらないとやり遂げられない仕事だ。ただ、彼女は政界に本当の友達がいない。自分に極めて近い取り巻きしか信用せず、首相として、特定の一人の官僚にすべてを任せきってしまっているのは、実務的にも憲法上の観点からも、間違っている」

 メイがブレグジットをめぐる対EU交渉について、側近の官僚で「欧州問題担当顧問」を務めるオリバー・ロビンズ(43)にほぼ全面的に頼っていることは、与野党内からも厳しい批判が出ている。離脱担当相ポストを自ら新設したにもかかわらず、閣僚の政治家より、事務的に有能なロビンズを重用し、同僚の政治家を信用しない傾向が非常に顕著だ。憲法上も政治主導を重んじ、日本のお手本にもなってきた英国政治では、異例の状況だといえる。

 11月半ば、政府がまとめた離脱協定案に納得できないとして離脱担当相を辞任したドニミク・ラーブ(44)も、協定案の内容もさることながら、最終段階で自分の知らないうちに文書が書き換えられ、EU交渉が行われていたことがわかってぶちキレた、という情報が流れている。ラーブは結局、12月12日の保守党のメイに対する信任投票で、不信任に投票した。

 メイはこの“官僚重用”の政治スタイルで、昨年すでに首相として大失敗を犯している。対EU交渉の本格スタートを前に、政権基盤強化を狙って打った17年6月8日の総選挙である。結果的に大幅に議席を減らして少数与党に転落したこの選挙のツケは、今回の採決延期、そして今後も可決の見通しが立たない、という苦境に結びついている。

 この時の選挙の最大の“敗因”は、党のマニフェスト(政権公約)に突然、高齢者の社会保障費にかかわる税制改正を盛り込んだことだった。激しい批判を受けて発表2日後に撤回したが、保守党の票田である高齢者を直撃するこの政策は、当時の若い側近官僚2人の発案で急きょ盛り込まれたことがわかっており、選挙後、官僚2人は退職した。

 こうしたメイの“政局の風”を読む戦略性の乏しさ、甘さも、宰相の器として疑問符がつく点だ。ある古参の穏健派保守党議員は、現在の党内の分裂状態について、「16年7月に党首、首相に就任してから2年以上時間があったのに、党内に信頼関係を培い、理解を求める作業がまったくおざなりだった。こんな土壇場になって急に理解を求めても、メイについていく政治家は少ない。メイは『信頼関係』という、文字にできない政治の基本がわかってない。戦略を立てようにも、他人を信頼しないと、英国内でも欧州側でも動いてもらえない」と筆者に指摘した。

 メイは、12月13日(木)~14日(金)にブリュッセルで開かれたEU首脳会議で、英側で最大の反発が起きているアイルランドとの国境管理問題について法的な対応を求めたが、EU側は当初予定通り、応じなかった。この場では、「英国が何を求めているのか曖昧」「国内でしっかりまとめてくるべき」などの批判がEU側から相次ぎ、メイの戦略性の乏しさが改めて露呈する屈辱となった。

【権力欲】

 EU首脳会議前日の12月12日(水)には、保守党内で党首・メイ氏に対する信任投票がついに行われた。離脱協議案の採決延期という失態を受け、強硬離脱派の発議に賛同する議員が急増したのである。

 この日のメイの朝一番からの即応ぶりと首相官邸前での演説には、珍しく勢いがあった。

 「私の指導力に対する信任投票に対し、私が持つすべてをかけて受けて立つ」

 「保守党は、単一の問題だけを扱う政党ではない。国のすべてに関わる党である。穏健で、現実的で主流だ。この国を再び団結させ、すべての国民のための国を築くために努力する党だ」

 「私は首相就任以来、そのために惜しみなく自らを捧げてきた。仕事を完遂するため、私は立ち上がる」

 演説から浮かび上がるのは、メイの「スタミナと回復力」の源泉となっているのは、単に官僚的で努力家な一面だけでなく、相当の自信と権力欲を持つ、ということである。

 メイの自信家、野心家ぶりを示す証左として、学生時代からの古い友人の証言は興味深い。

 英紙ガーディアンによると、メイのオックスフォード大時代からの友人であるパット・フォークランドは、1979年にマーガレット・サッチャーが英国初の女性首相として就任した際、メイが「自分が最初の女性首相になりたかった」と悔しがったことを覚えているという。「サッチャーに最初の座を取られた」と、不満げに語るメイは、「当時から政治の頂点を極める野心に満ちていた」という。この野心と自信が、メイが容易に自説を曲げない頑固さにつながっている、との指摘も多い。

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