前頁表のように、主要国は1945年以降70~80年代にかけて約半分近い期間でそのマイナス金利を通じて債務削減を行った、という。例えば米国は、その期間中に年率平均GDP比3.2%の負債削減に成功している。教授らは、この実質的な民間負担を「フィナンシャル・リプレッション」、敢えて直訳すれば「金融抑圧」という言葉で表現している。
これは、例えば5%のインフレ率の時代に2%金利の国債で資金調達を行う、ということである。民間経済からすれば3%の期待利益の喪失となるが、これが政府に転嫁されて公的債務が減少するという仕組みだ。
金融の自由化・市場化が定着したいま、そうした施策はもはや不可能のように思われる。国債金利は市場が決定するものであるからだ。斬新な分析として本論文を採り上げた英エコノミスト誌も、現代の政治家がこの手法を利用することは難しいだろう、と論評している。
だがそれは「金融の自由化」に慣れた視点からの印象論だ。80年代まで国債金利もまた統制下にあった。国債金利は市場が形成するものという現代の常識は、ほんの30年程度の歴史しかない。日本でも暫く前まで「四畳半金利」という狭い金利体系の中に、すべての金利が閉じ込められていたのである。政治は、いざとなれば市場金利と乖離した非市場性国債の発行などを通じて、金利決定権を取り戻すことができるのだ。
但しこの「金融抑圧」を実行するには、不利益な国債を大量購入してくれる巨大な投資家の存在が必要となる。欧米の過去事例からいえば公的年金であるが、日本の場合には既に国債を大量に抱える銀行も政府からの強い要請を拒絶することはできないだろう。
低成長は宿命 憂鬱な時代が続く
つまり公的債務を削減するには、我々が知っている増税・歳出削減・高成長・デフォルトという選択肢以外に、民間金融を抑圧して政府に有利な政策を長期間にわたって実行する、という5番目のオプションがあるということだ。危機管理に長けた米国は早速こうした手段を検討し始めるだろう。それは、いつかの時点で日本が米国から不当に低い金利の米国債引受を要請される可能性を示している。日本が持つ豊富な外貨準備は、一転して厄介な米国救済システムに変貌するかもしれない。
一方で、日本がデフレ状態のままこの手法を導入するのは確かに難しいが、穏やかなインフレへの道が見えてくれば、非市場性超長期ゼロ金利国債発行などによる手法は考えられよう。経済的には、投資に回すべき資金が政府に吸収されることで成長率の押し下げ要因になるが、財政危機で市場や経済が大混乱するよりはマシだ、という政治判断はあり得る。消費税などの増税に、年金や銀行を対象とした「金融抑圧」が加われば、国債暴落は避け得るかもしれない。
だがその結果として、年金受給者や銀行預金者は長期間にわたってネガティブな実質金利しか受け取れず、成長資本を失う民間経済もゼロ成長に近い環境を受け容れざるを得なくなる。この「予想しうる国債暴落回避コスト」と「推計不能の国債暴落コスト」を天秤に掛けてみれば、政治家が前者を選択することは想像に難くない。