2024年11月22日(金)

迷走する日本の「働き方改革」への処方箋

2019年4月27日

弱者配慮における「情」と「理」

「弱者」という善悪の概念を取り入れると、議論が収束できなくなってしまう。さらに「Who」を中心とする議論だけに、またもや対立が生まれる。繰り返しているように、「What」にフォーカスしたアプローチを取りたい。要するに、仕組みづくり。大袈裟にいうと、社会システムの構築や修正にあたる。

 まず、高齢者の健康状態と運転適性の検査は一般運転者より頻繁に行うべきだろう。免許有効期間は、3年や5年でなく、1年や2年に短縮し、あるいは超高齢者の場合6か月もあり得ると。医学的検査項目も増やさなければならない。安全性の確認は座学の安全講座だけで済まさず、実技走行試験も入れるべきだろう。

 年齢や前回免許更新時の状態によって次回更新の検査・試験項目を決める。いくつかのレベルに分けて運営する。もちろん、コストは一般より大幅増になるが、これは基本的に高齢者本人に負担してもらうしかない。

 次に、都市部への乗り入れ禁止・規制である。都市部の人口密度を考えれば、事故の被害が農村部よりはるかに大きい。さらに公共交通機関が発達する都市部では自動車の必要性が低下するのも、禁止・規制の理由となろう。これは農村部の高齢運転者への救済措置にもなり得る。たとえば、都市部へ乗り入れしない「カントリー・ドライビング・ライセンス」という条件限定免許なら、更新手数料の割引適用も可能にするとか。

 さらに、インセンティブ措置も並行する。高齢者が免許を自主返納した場合は、奨励金やタクシー券、ライドシェア券の支給も理にかなっている。これらの原資はやはり、免許を継続保有する高齢者の割増免許更新手数料から捻出すべきだろう。

 このような仕組みづくり、いわゆる「シルバー・ドライビング制度」を構築し、運用するにはコスト増が避けられない。国や自治体に「予算を組め」と言ったらそこまでだが、いずれにしても大切な税金から捻出する必要がある。公平性からいうと、受益者である高齢者が多めに負担するのは理にかなっている。高齢化社会に突入した以上、コストをどんどん現役世代に転嫁することは、決して持続可能なやり方ではないはずだ。

 弱者救済や弱者配慮という「善」と救済コストという「悪」がアンチテーゼだと言ったが、前者は感性的な命題であり、後者は理性的な命題である。つまり、「情」と「理」は必ずしも一致しないわけだ。

「情」と「理」をごちゃ混ぜにすると議論が混乱するから、必ず切り離して考察する必要がある。家の中では、子供の将来のためなら、いくらでも教育資金を注ぎ込みたい。「親の愛情」(情)が「経済的合理性」(理)より先行しても、家族単位だから問題はない。ただ企業や社会となると、そうはいかない。ステークホルダーが多数あり、緻密な合理性に基づき、「全体最適」の仕組みを作る必要が出てくる。

 このシリーズ、「働き方改革」というテーマには常に「情」と「理」の問題がつきまとう。

連載:迷走する日本の「働き方改革」への処方箋

  
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