迷走する日本の「働き方改革」への処方箋

2019年4月27日

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立花 聡 (たちばな・さとし)

エリス・コンサルティング代表・法学博士

1964年生まれ。早稲田大学理工学部卒。LIXIL(当時トステム)東京本社勤務を経て、英ロイター通信社に入社。1994年から6年間、ロイター中国・東アジア日系市場統括マネージャーとして、上海と香港に駐在。2000年ロイター退職後、エリス・コンサルティングを創設、代表兼首席コンサルタントを務め、現在に至る。法学博士、経営学修士(MBA)。早稲田大学トランスナショナルHRM研究所招聘研究員。

 

弱者が加害者に変わるとき

 高齢者が自動車を運転すると事故につながりやすい。では、高齢者から運転免許を取り上げよう。確かに一理ある。ただ高齢者は弱者であるが故に、弱者いじめとして批判されるかもしれない。

 高齢者は弱者であろうか。電車やバスに優先席が設けられている以上、少なくとも日本の社会通念上、高齢者には弱者相当の判断要件が揃っているように思える。弱者に優しくするという意味で、自動車運転の権利を乱暴に奪うべきではないとも考えられる。

 ただ、弱者がいざ自動車を運転するとなると、状況は一変する。運転を少し誤っただけで車は多くの人を殺傷する「凶器」になり得るからだ。弱者が加害者に変わる。その「凶器」を前にして、周りの人たちはそれぞれの社会的強弱者性に関係なく、一瞬にして弱者と化する。私が繰り返してきた「弱者に優しいことによる全員弱者化」の一場面でもある。一次弱者救済から生まれる二次弱者と言っていいだろう。

Stock / Getty Images Plus / inomasa

 加害者の高齢者は事故を起こすことによって良心の呵責に苛まれたり、逮捕や刑罰を含めた法的責任を問われたり、多額の賠償を求められたり、二度と運転できなくなったり、自身や家族に大きな影響を及ぼすことは間違いない。故に、加害者も弱者化される。

 であれば、ますます高齢者運転禁止にするべきだと考えてもよさそうだが、果たしてそうなのか。

 高齢者は全員運転に適していないわけではない。健康で運転にまったく支障のない高齢者も大勢いる。彼たちは無差別な禁止令によって権利を侵害され、弱者化されてしまう。

 たとえば、農村部。特に公共交通機関が発達していない農村部の高齢者にとってみれば、車がないと、生活が成り立たなくなる。通院などに支障が出れば、影響が深刻化する。健康の悪化やときには死を意味する。

 つまり、二次弱者救済から、さらに三次弱者が生まれるということだ。この弱者拡大現象を回避するには、「全体最適」の仕組みづくりが必要である。

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