――工作機械産業が世界一になるのに大きく貢献した企業が日本のファナックであると。
柴田:1956年に富士通信機製造株式会社、現在の富士通は通信機器事業の他に、コンピュータ事業とコントロール事業という新しい分野に参入しようと決めていました。コントロール分野が後のファナックになります。ファナックは、もともと富士通の社内新規事業としてスタートしたのです。富士通は通信機器事業がメインの企業でしたから、まったくの異業種から参入でした。現在、車の自動運転開発に自動車メーカーだけでなく、グーグルなどが参入していますが、そのイメージに近いですね。それが今から50年前の日本で起こったのです。
当時の富士通の尾見半左右(はんぞう)技術担当常務が新規事業であるコントロール分野とコンピュータ分野の大きな方向性を示し、それぞれのプロジェクトリーダーの稲葉清右衛門さんと池田敏雄さんは、方向性の枠内であれば「何をやっても良い」とかなりの裁量を与えられました。
当時、工作機械は1ミリの100分の1ほどまでの精度を職人技で切削や加工をしていました。工作機械に職人技ではなくコンピュータによる自動制御装置を付ける発想は、1952年にマサチューセッツ工科大学で試作されたNCフライス盤にまでさかのぼります。この論文やカリフォルニア大学バークレー校の高橋安人(やすんど)教授の論文などが紹介された1956年の早稲田大学での学会に出席したことを契機として、稲葉さんはコントロール事業のテーマをNC装置にすることに決めました。
NC装置やCNC装置は、工作機械の「頭脳」にあたり、工作機械をコンピュータで制御する役割を果たします。NC装置の工作機械への導入が、この分野で日本が勝ち上がった最大の要因です。また日本の工作機械メーカーのほとんどはNC装置の開発をファナックや三菱電機に任せました。一方、アメリカの場合、工作機械メーカーが各社で独自のNC装置の開発を行っていました。その違いもまた日本とアメリカのその後の明暗をわけた要因です。
ここで言うNCとは数値制御のことで、NC装置とCNC装置については現在ではほとんど区別されることはないので、同義と考えてください。
――開発途中では、インテルとの共同開発を行ったことが大きかったと。
柴田:1975年当時、インテルの主力事業は半導体メモリでしたが、MPU(マイクロプロセッサ)を新規事業としてはじめていました。1975年にファナックが主導し、NC工作機械にインテルのMPUを採用しました。これはパソコン産業よりも6年早くMPUを導入したことを意味します。ところが当時はMPUを世界で使った人は誰もいない状況でしたから、多くの不具合が発生し、解決のためにファナックとインテルは緊密な共同開発を行ったのです。
結果として、現在でもファナックの他に三菱電機といった日本勢が大きなシェアを占めています。ドイツではシーメンスが強い。アメリカのGEはこの分野から撤退しました。