2024年11月22日(金)

足立倫行のプレミアムエッセイ

2019年5月31日

私は本当に不幸なのか

 ところが、ついで次のように記すのだ。

 〈つらいのか、私は本当に不幸なのか。考えようではそのようにもとれる。しかし私は幸い健康である。そして痛快といいたいほど緊張にみちてこれらのことに対処している〉

 〈「天の将(まさ)にこの人に大任を下さんとするや先ず心身を苦しめ筋骨を労せしむと」

 当面したことに一心になりきっている身にはその他の存在はない。この努力、ひたぶるに励む努力は、周囲の人々の心の私と共に、私の行為に陰徳を積む仕事になりつつある〉

 この頃祖父は55歳。何かを探し求めるように、仏教や哲学の本を耽読していた。

 目の前の問題に集中し、誠心誠意全力で対処すること。それ以外のことは考えない。他の人がどう思おうと気にかけない。それが仏法の教えに通じる道……、と考えていたようだ。いや、考えたいと願っていたのか。

 そう言えば、と私は祖父の顔を思い浮かべた。

 祖父はいつも笑顔だったが、笑い声というのは聞いたことがなかった。顔が笑っているだけで、声は出ていなかった……。

 私の娘は、ICU(集中治療室)から一般病棟に移ったので、少しだけホッとしたが、入院は長引きそうだった。

 「明日、何か持ってくるものは?」

 「じゃあ、パーカー」

 「わかった。じゃ明日ね」

 妻と私は、この日も一緒に病室を出た。

 昔と違って、付き添いで病室に泊まる人もいなければ、面会に来てベッドの片隅でマンガ本を読む子どもも、昨今の病院では見かけない。

  
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