第一「この」海自は実戦経験こそないにしろ、緊張の絶えない毎日を送っている。北朝鮮や中国からミサイルが飛んで来ようものなら迎撃するために、あるいは南西諸島方面で領海を侵すものを未然に押し返すために。大震災後の救援に大規模動員の命令が下ったときですら、これら活動には妥協がなかった。
日本が戦争をやれるかとなると話はまた別だ。しかし、ここにあるのは実戦を前に逃げ出す組織ではない。
「みねゆき」所属の対潜ヘリで洋上を2時間飛び、潜水艦探知の実技を見せてもらった。場所を変えつつソナーを水中に垂らし、空中静止の状態で音響を聞く。これを夜間にやり母艦へ難なく帰投する力をもつネイビーは「米海軍と、そうですね、ウチくらいでしょうか」。機長の声には秘めた誇りがあった。
この能力が、中国潜水艦連続30時間追尾という、追われた側にしてみれば屈辱以外の何ものでもない実績を生み出したのは記憶に新しい。
職務への忠誠
日露戦争に勝てたワケ
が、よし海自に実戦経験がなく、米海軍などとその意味で比較にならないのだとしても、決められた仕事に打ち込む下士官たちの顔また顔を見るにつけ、練度を高く保つことの意味が推察できた。命令さえあれば、厳しい仕事に普段と同様赴く用意がそこから生まれるに違いない。
筆者が見た第1のものとは、優れた工場現場で観察できる忠誠の構造と似ていなくはない。金儲けをしたい、楽をしたいというのとは違う動機、自分の仕事に誇りを持って当たりたいとする内発的動機が作り出す「職務への忠誠」である。
「あさぎり」であてがわれた船室に、戦艦三笠の艦橋を描いた日本海海戦の有名な絵が架けてあった。東郷平八郎を中心に、広げた海図を調べる者があり、双眼鏡を見る者がいる。伝声管に声を張り上げているのは、舵と速度を命令しているのだろう。
つまりは今と、必要な作業において大差はない。ただ反応緩慢な石炭蒸気機関の艦は、操るのが今よりよほど難しかっただろう。
それでも各艦見事な操艦をし、ためにロシア艦隊を撃破できたのだとすると、いま我々が海自艦上で見る職務に忠誠を抱く人間組織が、当時既に存在したことの証左となる。
親族、主従といった属人的関係にのみ忠誠の対象を認める風土では、近代的組織は動かせない。幾段もの階梯からなる組織のたとえ末端に属していようとも、一所懸命(字義通り)となる・なれる人間を育てたとき、近代組織は力を倍加させる。
当時の英国は極東の小国日本が大ロシア海軍を屠(ほふ)ったことに驚いたというけれど、彼らが真に驚愕したのは、開国以来わずか四半世紀で日本が右に言う意味での組織を築き、動機づけのマネジメントを獲得したそのことだったのではあるまいか。