2024年4月23日(火)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2012年1月31日

 当然、チベット本土のチベット人にとっても大きな関心事であったはずだ。ふだん法王と接点をもてないチベット本土の人々、とくに僧侶らの多くが、何としても参加したいと考えたことであろう。ところが、この行事にチベット人が大挙して参加をすることを恐れた中国当局は、昨年チベット人へのパスポートの発給を止めてしまった。チベット人へのダライ・ラマ法王の影響がより大きくなることを警戒したゆえの措置であろうが、このことが僧侶らの当局への反発をさらに増幅させたという事情もある。

 こうした封じ込めに遭えば、おそらく、本土のチベット人の灌頂への参加は少数に限られるだろう、と思いきや、蓋を開けてみると何と、8000人ものチベット人が本土から訪れていたという。なかには、当然ながらパスポートを持たない者も大勢いた。

 彼らは、どうやって当局の監視の目をすり抜けてきたのか? 旅費の工面は? インドへの越境は? 多くの「謎」は残るものの、ともかく8000人がブッダガヤまでたどり着き、ほぼ全員が10日間の灌頂を無事修了したという。しかし、これにはやはり後日談があり、灌頂が終わる頃、中国当局はインドやネパールとの国境に警備のポイントを増やし、警備員を多数配置、この措置により拘束されたチベット人も出た。

 他方、ネパールの首都カトマンズでは200人以上のチベット人が、旅券やインドの査証をもたずにインド入りしたとのことで、ネパール警察によって一時拘束された。

 これも以前、当コラムで触れたが、かつてはチベット人の入境やインドへの通行、亡命についてきわめて寛容な取り計らいをしてきたネパール当局は、近年、中国との関係強化に伴って態度を変え、チベット人への圧力を強めている。

 しかし、今回の灌頂をめぐって最も驚く情報はこのほかにある。チベット亡命政府の関係者によると、なんとダライ・ラマ法王によるカーラチャクラ灌頂に、中国人、それも在外華人ではなく、中国の漢人を中心とした人々が1500人以上も参加したというのである。

それは市民革命の萌芽なのか?

 ダライ・ラマ法王の灌頂に1500人の中国人。この現象をどう見るべきか。

 中国の民主化に期待を抱くウォッチャーなら、「中国の一般人民も、経済発展により一定の自由と余裕を得た。今後彼らは、チベット人とも協力し、中国とチベットを民主化の方向へと導いていくのでは」というような希望的観測を描くかもしれない。

 たしかに、2008年の北京五輪前後の大規模な弾圧の後、チベット側と中国政府との対話が一向に進まない中で、その翌年、ダライ・ラマ法王が、「世界中の中国人の兄弟姉妹へ」というメッセージを送り、世界各地の亡命チベット人に、中国人との交流を積極的に行うよう呼びかけた。この頃を境に、法王の世界中での説法や講演に、中国人参加者が目立ち始めたことは事実である。

 圧政者である共産党政府とは対話もままならないが、一般市民は、チベット、中国双方が人間同士互いにわかり合い、うまくやれるのではないか――そんな楽観主義の観測があれば、筆者も同調したいところだが、実際のところはそう容易ではなさそうだ。

 チベット東部に程近い、四川省成都では昨年12月、チベット人学生と漢人学生の間で暴力沙汰となる衝突が起きているし、チベットの件に限らず、今日の中国ではむしろ、若い世代の間で異民族間の反感、無理解が広がっている。


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