映画が完成すれば、雪子さんから吉行和子に戻る。強烈な雪子さんとつい重なってしまう意識を振り払い、目の前の吉行に意識をフォーカスし直す。
「私? 私は雪子さんとは全然違う。実人生の私は、人のために一生懸命料理を作ってあげるなんてありえない。自分のために食べるのも面倒くさいくらいなんですから。生きてくためには食べなきゃならないけど、料理は全くしません」
このひと言で一気に雪子さんは消え去る。同時に、雪子さんと正反対の、これまた強烈な吉行の芯がみるみる立ち上がってくるような印象に、一瞬たじろぐ。
「私、協調性はあまりないですね。すごいエゴイストなんだと思う。大事な友達もいるし、友達との時間も楽しいのよ。でもそれはそれ、本当の私の楽しさはそこにあるんじゃないような気がしてるの。ひとりで空想したり、映画や芝居を見て何かじっと考えているほうが、人生をより楽しんでいられるようで好きなんです」
そういえば以前読んだインタビュー記事で、自宅に人を呼ぶことはないと話していたことを鮮明に覚えている。
「人のために時間を費やすのがイヤなのね。外で一緒に楽しむのは好きだけど、いわゆる〝おもてなし〟というのが嫌いなの」
吉行の語り口は、躊躇がなく、さっぱりしていて、どこまでも潔い。それでいて、ひとつの価値観を主張する気配もない。だから、私の心の奥底にあるフタをしてきた何かにピクリと響いてくる。1935年に生まれ、物心つく前から、女たるもの料理は好きで当たり前という戦前の価値観を世の中全体から刷り込まれた時代を生きてきてなお、このようにはっきりと自分を語れる吉行に、戦後生まれの私が羨望を覚え、まぶしさを感じる。
家族らしくない家族の中で
「小さい時から家族団欒なんてなかった。家族が集まって相談して何か決めるなんてこともなかった。私は小児喘息で岡山の祖父母のところに預けられていたし、母は仕事で忙しくて家にいないことが多かったし、11歳上の兄は家が火事にでもならなければ帰ってこないんじゃないかというくらい寄り付かなかったし。大人になって、母と4歳下の妹と私は同じマンションに住みながらほとんど行き来がなかったしね。一緒に何かするってことがなかった。そういう家族だったんですね」
吉行の母は、言わずと知れたNHK連続テレビ小説「あぐり」(97年)のモデル、吉行あぐりである。98歳で店を閉じるまで76年間、美容師として働いてきた。兄は芥川賞作家の吉行淳之介。妹は詩人で小説家、やはり芥川賞を受賞している吉行理恵。兄や妹とは違う演劇の世界に入った吉行は、舞台では紀伊國屋演劇賞個人賞、映画では日本アカデミー賞優秀主演女優賞を二度受賞するなど、それぞれがそれぞれの分野で目覚ましい足跡を残しているすご い家族でもあるのだ。吉行が4歳の時に他界した詩人で小説家だった父エイスケは、ドラマでは野村萬斎が演じ、その破天荒ぶりがハンパではなかった。