東日本大震災から1年が経った。米国でも3月11日が近づくにつれ、主要テレビ局がわずか1年で目覚しい復興を遂げつつある東北地方の姿や福島第一原発の現状について、詳細なレポートを交えて報道した。未曽有の地震と原発事故から1年が経ったことをあらためて米国社会に印象付けた。
とりわけ米国では原発事故に対する関心が高い。福島第一原発事故の影響により、いまだ住民の避難がつづくなか、日本では政府や民間により事故の調査や検証が進められている。米国でも日本の検証委員会による地震と原発事故の独自調査結果が大きく報道され、最悪の場合、首都圏の約3000万人の住民避難が極秘に検討されていたことなどをニューヨーク・タイムズが一面で取り上げた。それに誘発されてラジオ各局が関連の報道を繰り返し放送し、米国民も原発事故は他人事ではないと感じているようだった。
世界でも類をみない甚大な被害をもたらした東日本大震災に関する映像や写真の記録は、テレビや新聞に限ったことではない。私の身近でも、ハーバード大学ライシャワー日本研究所が、様々な震災の記録をデジタル化して保存する「デジタル・アーカイブ」を進めている。
震災当日の在留邦人の取った行動
新聞やテレビなどの追悼特集だけでなく、ボストンでもちょうど1年が経った3月11日前後には、近隣の在留邦人が中心となって犠牲者を追悼する集会なども各種行われた。集会に参加した知人に1年前の様子を聞いてみると、地震発生直後から在留邦人の支援の動きは早かったという。ボストンには研究生活を送っている日本人も多く、彼らの間では地震発生直後から支援活動の機運が盛り上がり、ハーバード、MIT(マサチューセッツ工科大学)、タフツ、ボストン大学の近隣4大学の学生が中心となってMITに集結し、どんな支援ができるかを協議した。
募金活動や「Stand with Japan」(日本とともに立つ)と書いたTシャツの販売やチャリティーコンサートだけでなく、ツイッターなどインターネット上の情報を分析し、現地で活かしてもらおうという取り組みも行われた。具体的には、実際に数人ずつグループになってローテーションを組み、交代で各県ごとにどこで緊急支援が必要なのかを地図に落とし込んでゆく作業(マッピング)が行われた。マッピングが契機となって実際の救援活動につながった例も数件あったというから、太平洋を挟んだ日本の反対側からでも救援活動の手助けができるインターネットの威力に驚いた。
これ以外にもボストンの日本人医師や研究者が協力して被災地に救援に入ったり、多くの医薬品を送るなど各分野でさまざまな支援が行われた。こうした活動に参加した知人は「何かしたい。何か助けたいという気持ちが自然と湧き上がり、祖国愛に目覚めた。いざとなると日本人は一丸となってまとまるんだと思った。そうした私たちの姿を見て、募金や支援活動に加わる米国の学生や市民も多かった」と振り返る。彼の話を聞き、私自身もあらためて震災の被害の大きさと自分が日本人であることを意識した2012年の3月11日であった。
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