2024年11月22日(金)

Wedge REPORT

2019年10月27日

地域外にも軸足を置く二地域居住者こそ果たし得る役割

 “ブルーシート集落”となった南房総エリアは、“ブルーシートをかけ直し続ける集落”と言い換えることもできる。屋根が損なわれた家に住み続けるのは、本当に大変なことだと思い知る。

 丈夫で1年はもつといわれている「3000番」という厚手のシートも、強風で煽られれば裂け、穴が開く。土嚢袋に砂を詰め、屋根の上に運び、願いを込めて設置するも、照りつける太陽や容赦ない風雨で劣化し、砂が屋根上でこぼれ、ずれる。紫外線(UV)対応の土嚢袋は圧倒的に足りない。そして、次また大風が吹けばずれると分かっていても、シートをかけなければ今日も暮らせないわけだから、何度でも直す。

 重労働なのに、一時的な効果しか望めない復旧作業。これが、被災地の疲弊の大きな原因のひとつである。

 「抜本的解決にはならない」ことをし続ける状態に虚しさを感じる自分を、責めることがある。二地域居住者は地域の暮らしに没入しきっておらず、それを外から見る時間もあるため、必死の復旧作業さえもシーシュポスの神話のように見えてしまう瞬間があるからだ。一方で、地元の被災者に「抜本的な解決にはならない」「もう瓦屋根はやめた方がいい」「住み続けるのは危ない」などとは到底伝え難い。口では何とでも言えるし、言いっぱなしはある種の暴力だとも言える。

 そんな、引き裂かれるような状態にありながらも、被災地に1つの居住地を持つ二地域居住者が果たすべき役割はあると、今は考えている。緊急性の高い順にそれを示してみる。

①被災後、迅速かつ的確に支援ができる立場

 一般のボランティアと違って、二地域居住者にはその土地に友人・知人がいる。社協のボランティアセンターなどが立ち上がるのを待たずとも、被災直後から友人のところに出向いて、助けることができる。その人にはどんな助けが必要なのか直接聞くことができるため、的確な支援を届けることができる。顔が見える関係があることの強みは、実は緊急事態に効いてくる。

②濃い支援の輪がつくれる立場

 この関係を押し広げていく動きも自然と起こり得る。自分はもうひとつの居住地でボランティアを集めることができるし、被災地の友人は周囲の地元住民の今すぐ必要なモノやコトの要望を拾って一緒に伝えることができるため、 “二地域居住者と地元住民”というつながりが濃い地点の周辺には行き届いた支援の輪が広がる可能性がある。

 ちなみに、二地域居住者の家も被災はする。しかし“そこに住むしかない”のと、“ほかに住める場所がある”のとでは、置かれる状況は全く違う。二地域居住という安全保障で得られたゆとりは、地元に還元することができる。

③少し先の未来を想定し、選択肢を用意する立場

 被災後は、地域全体が復旧作業で目いっぱいの日々になる。ほんの1週間後には必要になるかもしれないことでも、今この瞬間に需要がないことに関して準備の手を回せない、といったことが起こっている。

二拠点居住者だからこそ、少し未来の支援である農業ボランティアができる

 二地域居住者は、そうした「もうすぐ必要」というモノやコトの情報を現地で拾ったり、下準備がしやすい立ち位置にいる。例えば、知り合いの農家さんの倒壊したビニールハウスの片付けを手伝っていれば、「次の野菜の苗の準備もしなければ、もう売るものがない」などとこぼす言葉を聞くことができる。そこで「次は農業の手伝いの手を集めたらいいのではないか」と気づければ、先手を打って農業ボランティアの声がけも始められる。また、雨漏りなどで家が傷んで住み続けられない家が出始めたら、仮住まいとして空き家などを提供する方法なども考えていける。

 復旧に疲弊した被災者が、少し先の未来を自力でイメージすることは極めて困難だが、「農業ボランティアは有用?何人必要?どんな頻度がいい?」とか、「今の家に住めなくなったら親戚の家に行ける?それとも地域の空き家を借りてみる?復興住宅があったら入りたい?」などと具体的に選択肢が示されれば、中長期的な生活の立て直しについても考えてみようか、という気力が出てくるかもしれない。

 これらの作業は、一般的には行政の仕事と言えるだろう。ただ、行政が忙殺されている時にただ黙って待つのではなく、民間がそれを代行するのも、局面によってはアリではないかと考える。急場をしのぐ、官民の連携プレーである。

 その場合の“民”は、地域の外にも軸足を置きながらも、その自治体に特別親密な思いを持つ民間であるとより力を発揮できるのではないだろうか。


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