二地域居住における「選ぶ」自由と「選ばない」尊さ
もうだいぶその意識は薄れたが、南房総に居を構えた当初は「南房総にとって、二地域居住者である自分は、東京にも逃げられるズルい存在なのかなあ」と思うことがあった。責任を持たずにその土地のいいところを消費するだけの存在、とでも言うか。13年経ち、暮らしというのはそんなに単純なものではなく、縁のあった人や土地とは分かち難い関係ができるのだと身をもって知った。被災した土地だからポイ、という思考回路にはなれない。むしろ、その土地が大変なことになっていたら、それに心が砕かれて仕方ない状態になる。そう、それは家族への思いにも似ている。
確かに、拠点を選ぶ前は、いかに自分にメリットがあるかを大いに考えるのが当然だ。とりわけ2拠点目は、職場からの距離や駅近などといったスペックから追っていくのではなく、自分がより惚れた場所を選ぼうとするわけだから、「なんなら南房総ではなく南アルプスにしようか」などと選択肢の幅は広く、自由度は高い。南房総である必要は一切ない。
しかし、ひとたびそこに拠点を持てば、何度も訪れ、生活が繰り広げられ、愛着が深まる。その土地が被災しようものなら、他と比べることなどなく一直線に支援に向かう。選ばない尊さが発揮される瞬間だ。
複数の拠点を持つことには、どちらか一方の土地が被災した場合もう一方に避難できる、という安全保障的な意味があると考えていた。これは二地域居住者サイドからの視点である。ただ今回、地域にとっても二地域居住者が安全保障的な存在となり得るのだと分かった。地域にもっとも近い外部者は、消えない支援者、続く支援者になるのだから。
▲「WEDGE Infinity」の新着記事などをお届けしています。