時が経ち生活インフラ変化するも…
2018年6月に再訪したときには1年前に比べると、状況はいくらか落ち着いてはいた。キャンプ内には国際機関やNGOの施設が立ち並び、援助物資の配布にも混乱は見受けられなかった。
断食明けには子供たちが色彩豊かな服で着飾り、お菓子屋やジュースを買い求め友達と練り歩き、手動の観覧車や輪投げなどで遊ぶ。出店が並び香具師もやって来て大人たちもこの日は大いに楽しんでいた。一見そこには難民キャンプとは思えない生活を感じ取ることが出来る。彼らは逞しく生き、何より近いうちにミャンマーに帰れるはずだという希望があった。
大流出から2年が経過しキャンプで暮らすロヒンギャの状況に変化はあったのだろうか。昨年に引き続き、2019年8月、私は再びキャンプを訪れた。
60万人以上が住む、いまや世界最大の難民キャンプと言われているクトゥパロン・バルカリ難民キャンプは幾つかの区画に分けられマーケットも存在する。マドラサ(イスラムの学校)、モスク、グラウンドなどもあり一つの都市を形成していた。
2年前に比べ、キャンプ内の道はレンガで舗装され、トイレや井戸の数も増え共同スペースや、診療所、支援センターなども充実している。
しかし普段の難民の暮らしぶりはあまり改善されていないままだった。私が話を聞いた人たちは一様にいつも「空腹だ」と言った。
米や油などは支給されるが、肉や魚などは現金で手に入れなければならない。国連や国際NGOはロヒンギャを雇用し、支援業務や道路などのインフラ整備に従事させるプロジェクトも行ってはいるものの、競争が激しく実際に働ける人は全体のごく一部だ。多くの男たちが支援物資を売ったり、漁師やリキシャの運転手として日雇いの仕事をしたりして僅かな現金収入を得る。
バングラデシュ政府はロヒンギャが国内に流入することを防ぐため移動を制限している。病気や怪我をしても満足な治療を直ぐに受けることは難しい。
夫が妻に暴力を振るうドメスティックバイオレンスも問題となっている。仕事が無いストレスや帰還の目途が立たない苛立ちが立場の弱い女性に向けられてしまうためだ。治安の悪化も深刻で、ドラッグの密売や人身売買も行われていると報告されている。
妻と9人の子供たちと暮らす42歳の男性は「子供たちに野菜や肉を食べさせるために、もっと現金が必要だがここには仕事が無い。家は狭くて壊れやすく、雨季には水浸しになってしまう。清潔でない1つのトイレを周りの住民と共用しており不便だ」と語る。