サウジ社会の急速な変化は目を見張るものがある。ウォール・ストリート・ジャーナルのKaren Elliott House元編集長は、11月4日付け同紙掲載の論説‘Saudi Arabia Is Changing Fast’で、サウジ社会の変貌ぶりを「10代のサウジの少女たちは韓国の男性バンドBTSに絶叫し、若いサウジの女性は顔を覆わず半袖のTシャツとタイトなレギンスしか身に着けずに街中で5キロマラソンを走り、若い男女のグループがスターバックスでくつろいでいる。ホテルは今や、チェックインに際しカップルに結婚証明を求めることを許されない」と描写している。
サウジでは、かつて女性は外出時にアバヤで顔全体を隠し、運転は禁止されていた。職場では男女が別々に働き、女性が家族や親族以外の男性と外出することは禁じられていた。映画館は無く、コンサートの類は行われなかった。1990年代前半頃には、ムタワと称する宗教警察が二人一組で街を巡回し、女性がアバヤを正しくまとっているか、一日5回の礼拝の時間にちゃんと店を閉めているかなどを厳しく監視していた。
このような厳しい戒律は、サウジの国教ワッハーブ主義の教えである。18世紀のアラビア半島では偶像崇拝や神秘主義など本来のイスラムの教えから逸脱しており、ワッハーブという僧侶が本来のイスラムに回帰しようとして起こしたイスラム原理主義運動のいわば原点ともいうべき運動がワッハーブ主義であった。今のサウジの前身の第一次サウジ王国の指導者ムハンマド・イブン・サウドがワッハーブと盟約を結んで、サウドがワッハーブ主義の保護者となる代わりに、ワッハーブがサウドに忠誠を誓うこととし、のちにサウジ王国の発足とともにワッハーブ主義はサウジの国教となった。ワッハーブの僧侶は国内で極めて厳格なイスラムを実施すると同時に、パキスタンのイスラム神学校などでのワッハーブ主義の普及を支援し、それがイスラム過激派の拡散につながった経緯がある。
サウジの社会が大きく変化したということは、ワッハーブ主義の影響力が大きく低下したことを意味する。それはサウジ社会のみならず、サウジの統治形態が変わったことを意味する。サウジ社会の大きな変化の旗振りはムハンマド皇太子である。ムハンマド皇太子の最優先事項はサウジの石油依存からの脱出であり、ムハンマド皇太子は経済の多角化に必要な外資や外国人投資家を惹きつけるため大幅な社会改革をしているのである。サウジ社会があまりにも西側社会と違っていると経済活動がしにくい。ムハンマド皇太子がサウジ経済の多角化の旗印をおろさないかぎり、サウジ社会の変化は続くだろう。
他方、サウジ社会の変化はサウジ社会の民主化とは別の話である。ムハンマド皇太子は言論の自由、政府批判は一切認めず、専制的政治を進めていて、これは変わりそうにない。それから、サウジ社会の変化はサウジの外交には直接影響を与えそうにない。ムハンマド皇太子のイラン敵視策は変わりそうになく、イエメンでも妥協する姿勢を見せていない。サウジの外交は今後もサウジ社会の急速な変化とは関係なく進められそうである。
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