一方、絵の手前には江戸一般庶民の姿が描かれています。棒手振(ぼてふ)りと呼ばれる天秤棒を担いだ行商人で、朝早くから仕事熱心。
「おっとと!! てぇへんでぃ、長(な)げいのが来ちまったぜぃ」「こちとらぁ~! 客が待ってんでぃ~」なんて言っているのかもしれません(5)。
江戸ご府内では、参勤交代の列に出会っても、庶民は避けるだけで土下座はしなかったそうです。魚屋さんは橋の向こうの魚河岸で仕入れたばかりの新鮮な魚を早く売ろうと勇み足。頭にのせているのは背の青い初鰹と鯛でしょうか(6)。盤台の中には四角い板が見えます(7)。自前のまな板と包丁持参で長屋までデリバリー、井戸端に奥様集めて、その場で捌(さば)いてお皿にのせて……お江戸はコンビニエンスでゴミが発生しづらい町でした。
その隣には八百屋さん。籠の中には神田の青物市場から仕入れた大根、ごぼうに小松菜でしょうか(8)。「葉もの1里に根ものは2里」といわれ、葉っぱものは1里(約4キロ)、根菜類は2里(約8キロ)程度の範囲で採れたものは新鮮という地産地消の生活は当たり前のことでした。
橋の左の高札場(こうさつば)※4は、幕府からのお達し所(9)。今は日本橋観光案内所があります。
お江戸のSDGsは、まず赤ちゃんを大切にして人口安定、識字バッチリ、交通網として運河を巡らせ、多摩川から水を引き上水道完備、さらには竈(かまど)の灰まで肥料にリユースする─持続可能な町だったのです。
※4 親孝行の奨励や徒党の禁止などが書かれていた
【牧野健太郎】ボストン美術館と共同制作した浮世絵デジタル化プロジェクト(特別協賛/第一興商)の日本側責任者。公益社団法人日本ユネスコ協会連盟評議委員・NHKプロモーション プロデューサー、東横イン 文化担当役員。各所でお江戸にタイムスリップするような講演が好評。
【近藤俊子】編集者。元婦人画報社にて男性ファッション誌『メンズクラブ』、女性誌『婦人画報』の編集に携わる。現在は、雑誌、単行本、PRリリースなどにおいて、主にライフスタイル、カルチャーの分野に関わる。
米国の大富豪スポルディング兄弟は、1921年にボストン美術館に約6,500点の浮世絵コレクションを寄贈した。「脆弱で繊細な色彩」を守るため、「一般公開をしない」という条件の下、約1世紀もの間、展示はもちろん、ほとんど人目に触れることも、美術館外に出ることもなく保存。色調の鮮やかさが今も保たれ、「浮世絵の正倉院」ともいわれている。
NHKプロモーション=協力
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